アル=アクサー・モスク
座標: 北緯31度46分35秒 東経35度14分8秒 / 北緯31.77639度 東経35.23556度
アル=アクサー・モスク (アラビア語: المسجد الأقصى al-Masjid al-Aqṣā) は、エルサレム旧市街の「神殿の丘」あるいは「ハラム・シャリーフ」(al-Ḥaram al-Sharīf/al-Ḥaram al-Qudsī al-Sharīf)と呼ばれる聖域の南に、ウマイヤ朝時代に創建されたモスクである。銀のドームとも呼ばれる。
概要
[編集]「アル=マスジド・アル=アクサー」とは「遠隔のモスク」の意味で、クルアーン17章1節の預言者ムハンマドがミウラージュの奇跡において天馬ブラークに跨がり昇天したのを記念するためにつくられた。705年から709年にかけてウマイヤ朝のワリード1世によって建設された。しかし、13世紀および15世紀に火災などによって幾度も再建や改築されており、岩のドームや預言者のモスクと異なって創建当時の面影はミフラーブ手前のドームの壁面を除くとほとんど残されていない。
マッカにある預言者のモスク(白亜のモスク)、ウマイヤド・モスクなどと並ぶイスラーム最初期につくられたモスクのひとつである。当初は現在のカアバ以前のイスラム教の最高聖地だった。最初キブラはここの方向に定められた。このモスクのキブラの壁面はハラム・シャリーフの南側の境壁に一致している。近接して、真北130mほどのところ、ハラム・シャリーフの中央に岩のドームがある。
立地はイスラエルの実効支配下にあるが、管理はヨルダン宗教省がワクフとして行っている。また、ヨルダンは1924年、1964年、1994年とモスクの修復作業を施している[1]。1969年にエルサレム症候群を発症したキリスト教福音派のオーストラリア人デニス・マイケル・ロハンによって放火された事件は、イスラーム諸国がイスラム諸国会議機構を設立するきっかけとなった[2]。
脚注
[編集]- ^ 江崎智絵「中東和平におけるヨルダンにとってのパレスチナ難民問題」(PDF)『現代の中東』第48号、アジア経済研究所研究支援部、2010年1月、59頁、doi:10.20561/00028811、ISSN 09128107、2014年1月18日閲覧。
- ^ Esposito, John L. (1998). Islam and Politics. Syracuse University Press. ISBN 0-8156-2774-2. p.164.