アレクサンダー・クッシング
アレクサンダー・クッシング | |
---|---|
Alexander Cushing | |
生誕 |
Alexander Cochrane Cushing 1913年11月28日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
死没 |
2006年8月19日 (92歳没) アメリカ合衆国 ロードアイランド州ニューポート |
出身校 |
ハーバード・カレッジ ハーバード・ロー・スクール |
職業 | 弁護士 |
配偶者 |
Justine Cutting (結婚 1938年; 離婚 1965年) Elizabeth Woodward Pratt (結婚 1970年; 死別 1985年) Nancy Wendt (結婚 1987年) |
親 |
Howard Gardiner Cushing Ethel Cochrane |
アレクサンダー・コクラン・クッシング(Alexander Cochrane Cushing、1913年11月28日 - 2006年8月19日)は、アメリカ合衆国の弁護士である。カリフォルニア州スコーバレーにスコーバレー・スキーリゾートを開発し[1][2]、1960年の冬季オリンピックの誘致に尽力したことで知られる。
若年期
[編集]クッシングは1913年11月28日にニューヨークで生まれた。父ハワード・ガードナー・クッシング(Howard Gardiner Cushing, 1869–1916)[3]は著名な芸術家だったが[4]、クッシングが3歳の時に亡くなり、病弱な母エテル(Ethel Cushing, 1869–1916, 旧姓コクラン(Cochrane))の手で育てられた[5]。姉にオリビア・デュラニー・クッシング(Olivia Dulaney Cushing, 1904–1908)と芸術家の[6][7]リリー・エメット・クッシング(Lily Emmet Cushing, 1909–1969)[8][9]が、兄にハワード・ガードナー・クッシング・ジュニア(Howard Gardiner Cushing, Jr., 1906–1979)がいる。兄ハワードは、フレデリック・ロスロップ・エイムズ・ジュニアの娘のメアリーと結婚した[10][11][12]。
1925年[13]、母はウォール街の証券業者の[14][15]ジェームズ・デニソン・ソーヤー(James Denison Sawyer, 1875–1943)と再婚した[11]。子供の頃、クッシングは、東70番街にあるウィリアム・アダムズ・デラノが設計した家に住んでいた[16]。デラノはクッシングの代父だった。
クッシングの父方の曽祖父ジョン・パーキンス・クッシングは、中国を相手に商売をしていた商人だった[17]。いとこのアレクサンダー・コクラン・フォーブズ(Alexander Cochrane Forbes)は、外交官ウォレン・デラノ・ロビンスの娘のイレーネ・ヘレン・ロビンス(Irene Helen Robbins)と結婚した[18]。
父が早くに亡くなり母が病弱だったため[19]、クッシングは若年期の大半を寄宿学校のグロットン・スクールで過ごした。1936年にハーバード大学ハーバード・カレッジを、3年後の1939年にハーバード・ロー・スクールを卒業した[1][5]。
キャリア
[編集]ロー・スクール卒業後、グロットン・スクールの同級生のスチュワート・アルソップの推薦で国務省に3年間務め[17]、その後、司法省に短期間勤めた。司法省を辞めた後は、ニューヨークのデービス・ポーク法律事務所に入った[20]。
真珠湾攻撃による対日開戦を受け、クッシングはアメリカ海軍に入隊し、クオンセット・ポイント基地で副操縦士としての訓練を受けた。第二次大戦中は、南米と太平洋で海軍航空輸送サービスに5年間従事し、終戦までに少佐まで昇進した[20]。終戦の9か月後に退役し、デービス・ポーク法律事務所に戻った[5][17]。
スコーバレー
[編集]ある年の冬、クッシングはシエラネバダ山脈にスキーに出かけ、その途中でタホ湖の北岸から7マイルの距離にあるスコーバレーを訪れた[17]。クッシングは、この地がスキーリゾートとして良い立地であると感じ、元スキーチャンピオンで、1940年代にユニオン・パシフィック鉄道から一帯の土地640エーカー (2.6 km2)を購入していたウェイン・ポールセンにスキーリゾート開発のパートナーシップを持ちかけた[2]。クッシングは、自費で14.5万ドルを拠出したほか、ローレンス・ロックフェラーから27.5万ドルの出資を受け、1949年にスコーバレー・スキーリゾート(現在のパリセーズ・タホ)の事業を立ち上げた[5]。
1954年から、クッシングは国際オリンピック委員会(IOC)に対し、1960年に開かれる第8回冬季オリンピックをスコーバレーに誘致するためのロビー活動を開始した[21]。スコーバレーのほかに西ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェン、オーストリアのインスブルック、スイスのサンモリッツといった有名なスキーリゾートも立候補したが、スコ―バレーは全くの無名であり、当時簡易なスキー場くらいしかなかった[22]。しかし、1955年にパリで開かれたIOC総会では、スコーバレーが開催地に選ばれた。組織委員会にはクッシングも参加し、350ドル(当時)の巨費を投じてアイスアリーナとスケートリンクが作られた[23]。オリンピック誘致の功労者として、クッシングは1959年の『タイム』誌の表紙を飾った[16]。
私生活
[編集]クッシングは生涯に3度結婚している。
最初の結婚は1938年で[24][25]、相手はロバート・ベイヤード・"フルトン"・カッティング(Robert Bayard "Fulton" Cutting, 1886-1967)の娘の[26]ジャスティン・ベイヤード・カッティング(Justine Bayard Cutting, 1918-2003)だった[26][27]。ジャスティンの祖父ロバート・カッティング(Robert Cutting, 1852-1934)は、クーパー・ユニオンの学長やメトロポリタン・オペラ協会の会長などを務めた[28]。ロバート・カッティングの母は、詩人のイリース・ジャスティン・ベイヤードである。ジャスティンとの間に以下の3人の娘をもうけたが、1965年に離婚した[2]。
- ジャスミン・ベイヤード・クッシング(Justine Bayard Cushing) - 装飾家[29][30][31]
- リリー・クッシング(Lily Cushing) - リフト・エンジニアリングを創業したポーランド人移民で、元スキー選手のJanek Kunczynskiと結婚した[32]。
- アレクサンドラ・オリビア・コクラン・クッシング(Alexandra Olivia Cochrane Cushing) - コビントン・アンド・バーリング法律事務所の弁護士のフィリップ・キング・ハワードと結婚した。ハワードは、アメリカ独立宣言の署名者ジョサイア・バートレットの末裔である[33]。
1970年にウィリアム・ウッドワード・シニアの娘でウィリアム・ウッドウォード・ジュニアの姉のエリザベス・オグデン・プラット(Elizabeth Ogden Pratt, 1907–1985)と結婚した[34][35]。エリザベスはそれまでに2度結婚し、1度の離婚と1度の死別を経験していた。エリザベスとは1985年に死別した。
1985年、スコーバレーの開発用地に関する法律相談を行っていたときに、3人目の妻となるナンシー・R・ウェント(Nancy R. Wendt)と出会った。ナンシーとは1987年に結婚した。ナンシーは、ハーバード・ロー・スクールに3年間在籍した後、1975年にサウスカロライナ大学で法学博士号を取得した[5][36][37]。
クッシングは2006年8月19日にロードアイランド州ニューポートの別荘で死去した[1][20]。
栄誉
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c McLellan, Dennis (23 August 2006). “Alexander Cushing”. The Washington Post. オリジナルの16 December 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ a b c Martin, Douglas (22 August 2006). “Alexander Cushing, 92, Dies; Turned Squaw Valley Into World-Class Skiing Destination”. The New York Times. オリジナルの16 December 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ “HOWARD G. CUSHING DEAD; Portrait Painter Is Found Lifeless in Bed – His Career.”. The New York Times. (27 April 1916). オリジナルの25 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ “Paintings of Howard Gardiner Cushing”. The New York Times. (24 January 1909). オリジナルの25 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ a b c d e f “The Old Man and the Mountain - Harvard Law Today”. Harvard Law Today. (April 1, 2003). オリジナルの25 December 2015時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ Times, Special To The New York (13 July 1971). “Mrs. Alexandra E. Allan Wed To Arthur M. Schlesinger Jr.”. The New York Times. オリジナルの26 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ “Lily Emmet Cushing papers, 1929-1972”. aaa.si.edu. Smithsonian Archives of American Art. 26 August 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。20 June 2017閲覧。
- ^ “Obituary 1 – BOYD”. The New York Times. (22 September 1969). オリジナルの25 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ “Lily Cushing” (英語). americanart.si.edu. Smithsonian American Art Museum. 25 August 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。20 June 2017閲覧。
- ^ “MISS AMES AND FIANCE BREAK ENGAGEMENT; Mutual Agreement With Howard G. Cushing Not to Marry.”. The New York Times. (27 April 1929). オリジナルの25 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
- ^ a b “MARY C. AMES WED TO H.G. CUSHING; Only Relatives and Intimate Friends at Ceremony in the Chantry of St. Thomas's. CHIMES RING FOR COUPLE Vested Choir Takes Past in Wedding—Small Reception at Homeof the Bride's Mother. The Decorations. Bride in Gown of Peach Gold Satin. Some of the Guests.”. The New York Times. (19 January 1930). オリジナルの25 August 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
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- ^ “スコーバレー1960 冬季オリンピック - アスリート、メダル&結果”. 国際オリンピック委員会. 2023年4月23日閲覧。
- ^ 『近代オリンピック100年のあゆみ』ベースボール・マガジン社、161、1994-07-20頁。
- ^ “JUSTINE CUTTING ENGAGED TO WED; Her Betrothal to Alexander Cushing, Son of Artist, is Announced Here HAS STUDIED AT FOXCROFT Prospective Bridegroom, Who Is Graduate of Harvard, Now Law Student”. The New York Times. (19 November 1938). オリジナルの10 October 2017時点におけるアーカイブ。 20 June 2017閲覧。
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