アレクセイ・ニコラビッチ・シュペイエル
表示
アレクセイ・ニコラビッチ・シュペイエル(ロシア語: Алексей Николаевич Шпейер、Alexey Nikolayevich Shpeyer、1854年4月20日 - 1916年3月19日)は、ロシア帝国の外交官。
ロシア政府は1895年に彼を朝鮮駐在ロシア総領事カール・イバノビッチ・ヴェーバーの後任として送ったが、朝鮮王朝、高宗の要請でヴェーバーは現地に留まり、シュペイエルが代わりに東京に送られた[1]。シュペイエルは最終的に1897年9月にウェーバーと交代した[2]。
参考文献
[編集]- ^ Volkov, M. (May 2004). “Русские в Корее- имена и судьбы (Russians in Korea — Names and Fates)”. Korusforum Journal, Center for Contemporary Korean Studies, Russian Academy of Sciences (23) .
- ^ Duus, Peter (1998). The Abacus and the Sword: The Japanese Penetration of Korea, 1895-1910. University of California Press. pp. 118–121. ISBN 0-520-21361-0
関連項目
[編集]先代 ミハイル・ヒトロヴォ |
駐日ロシア代理公使 1896–97 |
次代 ロマン・ローゼン |
先代 カール・イバノビッチ・ヴェーバー |
駐朝鮮ロシア総領事 1897–? |
次代 ? |
先代 Pyotr Mikhailovich Vlasov |
駐ペルシアロシア公使 1903–1906 |
次代 Nicholas Genrikhovich Hartwig |