アレクトン

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アレクトン
仏海軍・通報艦アレクトン、1861年進水
—ブイエ(著)、1866/1867年。
リウー (画)。 ロドルフ海尉に拠る
[1][2]
基本情報
船種 アレクトン級[3]
船籍 フランス
経歴
発注 1859年
進水 1861年
最後 1884年ロリアンにてスクラップ
要目
排水量 570 トン
全長 50.9 m
12.1 m
喫水 2.7 m
機関方式 マスト×2本帆船
蒸気機関
出力 120馬力
乗組員 66名
兵装 軽カノン砲×2基
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コルベットアレクトンは、19世紀フランス海軍の軍艦。ダイオウイカ(Architeuthis属)との遭遇を記録する船舶の最古級例として知られる。捕獲には失敗したものの、個体の一部を採取でき、サンプルとして採取し学界に送っている。

任務歴[編集]

コルベット艦アレクトンは、 ギリシア神話のアレークトー(復讐の女神たちエリーニュスのひとり)より命名。外輪船、エトワール改型二級通報艦フランス語: aviso à roues de deuxième classe, type Etoile modifié)。ラ・セーヌの造船所にて1859年発注、1861年進水、FCM社 (地中海鉄工・造船所)英語版[3]。全長50.9メートル、船幅英語版12.1メートル[4]

アレクトンは、 120馬力の蒸気機関を搭載した2本マスト帆船で[5][4]、排水量570 トン、乗員66名、軽カノン砲を2基の兵装。1861年、初任地としてフランス領ギアナに配置され、1868年以降はグアドループに異動。 1883年8月10日退役英語版。1884年ロリアンにてスクラップ処分[3][4]

ブイエの旅行記[編集]

アレクトンの初代艦長を務めたフレデリック・ブイエフランス語版は1866年、イラスト入り旅行記を『ル・トゥール・デュ・モンド』 誌上に発表[1]、のち一冊の本『フランス領ギアナ:1862年~1863年航海の備考と追憶』(1867年)として刊行された[注 1] [6]

イラストの原画は、アレクトンの乗員たちによる素描程度のものだが、これをもとに画家が起こしたものが掲載されている[7]。 ブイエ自身が元をスケッチした絵もあった[8]エドゥアール・リウー(画)「アレクトン」(全体像)は、艦乗員E・ロドルフ海尉[注 2]の下絵を元にしている[1][10]

巨大イカとの遭遇は、ブイエが着任時の1861年に起こっている[11]

巨大イカ[編集]

アレクトンの巨大イカ遭遇
水彩原画
—ロドルフ海尉(水彩原画)、1861年[9](復元)
ピエール・ラッカーバウワーによる。
—ピエール・ラッカーバウワー P. Lackerbauer(画)。E・ロドルフ(原画)に拠る。1865年[9]
アレクトンの見た巨大イカ、ブイエの本の絵
—ブイエ(著)、1866/1867年。リウー (画)。 ロドルフに拠る[12][13]
アレクトンがイカ発見
—(初出)ルイ・フィギエ著、1866年[14]。(再掲)ヘンリー・リー著、1884年[15]
(左上、右上、左下、右下)いずれも巨大イカ。銛を打たれ、ロープで軍艦アレクトンに引き揚げられようと試みられた。テネリフェ島沖、1861年11月。

フランス領ギニア カイエンヌ市の海軍基地をめざして航行開始したアレクトンは [16]、1861年11月30日、カナリア諸島テネリフェ島の北東約40リーグ (190 km)の沖合で、見慣れない生物に遭遇した[17]

島を接近中に、見張りが甲板の船員たちに「巨体、一部は水面下、浮上」と叫んだという[18]。ブイエ艦長は、のちの旅行記でこれが「巨大なイカ」[注 3]であったと記述している[19]

艦長は、それまで巨大イカの伝聞があることを知ってはいたが、学界ではその存在はまだ認められていなかった。損傷し腐乱した死体の一部のがみつかり巨大イカの一部ではないかとされており、デンマークシェラン島1847年スカーイェン英語版1854年、その例が記録されていた。しかし、捕獲例や生体の目撃報告はまだなかったのである[18]。目撃した巨大生物を確保すると決意した艦長は、フュジ(マスケット銃)で発砲を命じ、銛も撃たせ、ロープの輪にかけて捕えようとした[20]

弾丸はイカを貫通し、さしたる殺傷力にならなかった[22]。そのイカは"頭から尻尾まで"の長さ(足を含まない長さ)が推測・推計で最大18フィート (5.5 m)あった[23][24]。ついに投げ縄で胴体を捕らえたものの、あまりの重みで引き揚げようとすると千切れてしまい、先端部分だけが船に残った。その肉片は重さ14kgもあったと証言される[25][21]

その断片が博物館に送られたことは確かであるが、事件の翌年(1862年)にこれを追求した学者たちは、それが現存するかわからないとしている[26]

海底二万里[編集]

アリクトンの遭遇の事実を元に、ジュール・ヴェルヌ潜水艦を襲撃する巨大イカを『海底二万里』(1870年)に活躍させた[27][28]。現在のダイオウイカの権威クライド・ローパー英語版に取材した大衆サイエンス誌の記事によれば、この小説のイカには自然界のダイオウイカより過剰な攻撃性が与えられており、"身体的特徴もまるで間違っている"とされる[27]

注釈[編集]

  1. ^ 仮訳邦題名。原題『La Guyane française: notes et souvenirs d'un voyage exécuté en 1862-1863』。
  2. ^ フランス語: enseigne de vaisseau.
  3. ^ フランス語: encornet gigantesque.

出典[編集]

脚注
  1. ^ a b c Bouyer (1866), p. 273.
  2. ^ Bouyer (1867), p. 3.
  3. ^ a b c Roberts, Stephen S (2021). “Chapter 4. Avisos, Special Ships, and Gunboats 1859–1882”. French Warships in the Age of Steam 1859–1914. Barnsley, UK: Seaforth Publishing. ISBN 9781526745347. https://books.google.com/books?id=_7g8EAAAQBAJ&pg=PT487 
  4. ^ a b c Clouet, Alain (2005–2011). “Avisos à roues de 2e classe” [2nd class paddle avisos]. la Flotte de Napoléon III. 1850 - 1870. 2015年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月3日閲覧。
  5. ^ Bouyer (1921), p. 3.
  6. ^ Bouyer (1867).
  7. ^ Bouyer (1867)標題紙(タイトル)。
  8. ^ Bouyer (1867), p. 223.
  9. ^ a b c Frédol, Alfred (ps. de Alfred Moquin-Tandon) (1865), Le monde de la mer, Hachette, p. 314a, https://books.google.com/books?id=wKZ1gJQRWVsC&pg=PA314-IA3 ; 別ファイル @ biodiversity library
  10. ^ "E. Rodolphe"のファーストネーム頭文字は、アルフレッド・フレドル(アルフレッド・モカン=タンドン英語版の筆名)に拠る[9]
  11. ^ Bouyer (1867), pp. 20–21.
  12. ^ Bouyer (1866), p. 276.
  13. ^ Bouyer (1867), p. 20.
  14. ^ Figuier, Louis (1866). La vie et les moeurs des animaux zoophytes et mollusques par Louis Figuier. Paris: L. Hachette et C.ie. p. 467. https://books.google.com/books?id=L2YLajhNjAcC&pg=PA467 . Eng. tr. (1868) The Ocean World, p. 457
  15. ^ Lee (1884), p. 365.
  16. ^ Bouyer (1867), p. 4.
  17. ^ Bouyer (1867), p. 22.
  18. ^ a b c Ley, W. (June 1941), “Scylla Was a Squid”, Natural History Magazine 48 (1), https://www.naturalhistorymag.com/htmlsite/master.html?https://www.naturalhistorymag.com/htmlsite/editors_pick/1941_06_pick.html 2022年2月3日閲覧。 
  19. ^ Bouyer (1921), p. 21.
  20. ^ Bouyer (1867), p. 20: "pris la résolution de m'emparer du monstre.. on charge le fusils, ou emmanche les harpons, on dispose les nœuds coulant.."
  21. ^ a b Lee (1884), p. 40.
  22. ^ ブイエ艦長がフュジ(fusils)銃としており、ヘンリー・リー (博物学者)英語版も1884年の著述で弾丸(bullets)と説明するが[21]ウィリー・レイ は1941年に大砲(cannon)を撃ったものと書いてしまった[18]
  23. ^ Bouyer (1867), p. 21: "dix-huit pieds de à la tête a la queue".
  24. ^ Lee (1884), p. 40: "estimated to have been from 16 feet to 18 feet.. without reckoning [the] arms".
  25. ^ Bouyer (1867), p. 21: "..déchira et nous n'amenâmes à bord qu'un tronçon de la queue.. La partie de la queue.. pesait 14 kilogrammes".
  26. ^ Crosse, [Henri]; Fischer, [Paul] (1862), “Nouveaux documents sur les Céphalopodes gigantesques”, Journal de Conchyliologie, 3e serie, 10: 135, note1, https://books.google.com/books?id=f7u2AAAAIAAJ&pg=PA135, "Les fragments de ce Céphalopode existent ou existaient au muséum; "Quelques-uns des viscères du nôtre sont déposés la galerie d'anatomie coparée du museum." (Quoy et Gaimard, l. c.) [Zool. de l'Uranie, t. I, 2e partie, p. 411]"  別ファイル@Gallica
  27. ^ a b Fisher, Arthur (May 1995), “He Seeks the Giant Squid”, Popular Science ((Special issue: Oceans at Risk/Ocean Planet)): 30, https://books.google.com/books?id=4jETasQk7aoC&pg=PA30  [1] via Ocean Planet, accessed 2015-07-12.
  28. ^ Hatcher & Battey 2011, p. 44
参照文献

外部リンク[編集]