アロイス3世・ツー・エッティンゲン=シュピールベルク
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ヨハン・アロイス3世・アントン・ツー・エッティンゲン=エッティンゲン・ウント・エッティンゲン=シュピールベルク(Fürst Johann Alois III. Anton zu Oettingen-Oettingen und Oettingen-Spielberg, 1788年5月9日 エッティンゲン - 1855年5月7日 ミュンヘン)は、ドイツのシュタンデスヘル。エッティンゲン=エッティンゲン侯及びエッティンゲン=シュピールベルク侯。
エッティンゲン=エッティンゲン侯及びエッティンゲン=シュピールベルク侯アロイス2世(1758年 - 1797年)と、アウエルスペルク侯カール・ヨーゼフ・アントンの娘マリア・アロイジア(1762年 - 1825年)の間の第3子、次男。
バイエルン王国の国王付き侍従長(Kronobrist-Kämmerer)、陸軍少将であった。1841年ヴュルテンベルク王冠勲章の大勲章を受けた[1]。ヴュルテンベルク王国の等族議会(Ständeversammlung)を1815年から1819年まで、ヴュルテンベルク貴族院議員を1819/1820年から1843年まで務めたが、実際に出席したことはなかった。1819年より終身でバイエルン王国参議院議員も務めた。
1813年8月31日ホッホアルティンゲンにて、バイエルン陸軍元帥カール・フィリップ・フォン・ヴレーデ侯の長女アマーリエ・アウグステ(1796年 - 1871年)と結婚。夫婦は4人の子をもうけた。
- オットー・カール(1815年 - 1882年) - エッティンゲン=エッティンゲン侯及びエッティンゲン=シュピールベルク侯
- マティルデ・ゾフィー(1816年 - 1886年) - 1839年マクシミリアン・カール・フォン・トゥルン・ウント・タクシス侯と結婚
- グスタフ・フリードリヒ(1817年 - 1864年」
- ベルタ・ヨハンナ・ノートゲラ(1818年 - 1890年) - 1842年ライムント・フッガー・フォン・バーベンハウゼン伯爵と結婚
引用
[編集]- ^ Hof- und Staatshandbuch des Königreichs Württemberg 1854, S. 34
参考文献
[編集]- Frank Raberg: Biographisches Handbuch der württembergischen Landtagsabgeordneten 1815–1933. Im Auftrag der Kommission für geschichtliche Landeskunde in Baden-Württemberg. Kohlhammer, Stuttgart 2001, ISBN 3-17-016604-2, S. 626.