コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アンティオコス6世ディオニュソス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンティオコス6世ディオニュソス
セレウコス朝の王
シリアの王
アンティオコス6世の硬貨
アパメアで鋳造された
在位 紀元前145年または紀元前144年 - 紀元前142年1月
戴冠式 デメトリオス2世対立王のため、正式に戴冠していない

出生 紀元前148年
死去 紀元前142年1月
次代 ディオドトス・トリュフォン
父親 アレクサンドロス1世
母親 クレオパトラ・テア
テンプレートを表示

アンティオコス6世ディオニュソスギリシア語: Αντίοχος ΣΤ΄ Διόνυσος, 紀元前148年 - 紀元前142年1月)は、セレウコス朝の王。アレクサンドロス1世と、プトレマイオス朝の王プトレマイオス6世の娘クレオパトラ・テアの子。

生涯

[編集]

アンティオコス6世は実際にセレウコス朝の王として統治することはなかった。紀元前145年または紀元前144年に、デメトリオス2世対立王としてディオドトス・トリュフォンによって擁立された。アンティオコス6世はディオドトス・トリュフォンの操り人形に過ぎなかった[1]紀元前142年または紀元前141年に幼い王は死んだ[2]。死因については、ディオドトス・トリュフォンによって暗殺されたという記録や[3]、手術中に死んだという記録もある[4]

アンティオコス6世のコイン。裏面には馬に乗ったディオスクーロイが描かれている。ギリシア語で ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟΧΟΥ(アンティオコス王)とある。日付は169(紀元前144年~143年に相当する)とある。

脚注

[編集]
  1. ^ The first coins of the king are dated to the year 144 BC Houghton, Arthur (1992). “The Revolt of Tryphon and the accession of Antiochos VI at Apamea”. SNR 71: 119–41. 
  2. ^ The last coinage of Antiochos VI is dated to the year 142/141 BC, see Houghton, Arthur, Lorber, Catherine C, Hoover, Oliver D. (2008), Seleucid Coins: A comprehensive catalogue, Part II: Seleucus IV to Antiochus XIII, 2 Vols, New York/Lancaster PA, Nr. 2020; 2022.3; 2026.
  3. ^ Makk. 13.31; Diod. Sic. 33.28; App. Syr. 68. 357; Iust. 36.1.7.; Oros. 5.4.18.
  4. ^ Ios. Ant. 13. 218; Liv. per. 55.

参考文献

[編集]

Schürer, E. (1973). A History of the Jewish People in the Age of Jesus Christ (175 BC- AD 135) (Revised and Edited by G. Vermes and F. Millar ed.). Edinburgh. pp. 183–197 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • Antiochus VI entry in historical sourcebook by Mahlon H. Smith
アンティオコス6世ディオニュソス

紀元前148年 - 紀元前142年1月

先代
アレクサンドロス1世
セレウコス朝の王 シリア王英語版
紀元前145年 - 紀元前142年
共同統治者 デメトリオス2世 (145–138 BC)
ディオドトス・トリュフォン (co-regent)
次代
ディオドトス・トリュフォン