アンディ・ハーツフェルド
アンディ・ハーツフェルド(Andy Hertzfeld, 1953年4月6日 - )は、アメリカ合衆国のコンピュータプログラマー。1980年代、初期の Macintosh 開発チームの主要メンバーであった。
経歴
[編集]Apple Computer(1979年-1984年)
[編集]1975年にブラウン大学を卒業後(計算機科学専攻)、カリフォルニア大学バークレー校に入学。1978年1月に Apple II を購入しソフトウェアの開発を始める。1979年8月にシステムプログラマーとしてApple Computerへ入社。Apple初のプリンター Apple SilenType や Apple II 用の初の80カラムカードを開発した。1980年代初期、ハーツフェルドは高校時代の友人スーザン・ケアをAppleに招いた。ケアはAppleで Macintosh のユーザインタフェース設計に従事することになった。
Appleでのハーツフェルドの肩書きは「Software Wizard」であった。1981年2月からは Macintosh 開発チームに参加し、バーンイン ROM コードやユーザインタフェースツールボックスの多く、またコントロールパネルやスクラップブックといった多くのコンポーネントを含む、Macintosh の最初のシステムソフトウェアの大部分を手がけた。ハーツフェルドは、基本的にスティーブ・キャップス、ブルース・ホーン、ラリー・ケニヤン(Larry Kenyon)、ビル・アトキンソンとシステム・ソフトウェアを書いた[1]。Macintosh のプログラマとして最後に加わったのは、バド・トリブルであった[1]。バド・トリブルの監督のもと、ビル・アトキンソンやバレル・スミスと並んで働き、ハーツフェルドは Mac OS の主要ソフトウェア設計者に就任した。
Apple退社後(1984年-現在)
[編集]1984年3月にAppleを退社後、ハーツフェルドは新興企業を3社共同設立した(1986年に Radius 社、1990年に General Magic 社(1996年退社)、1999年に Eazel 社を設立)。Eazel 社では Nautilus の開発に携わった。2002年から2003年まではオープンソース・アプリケーション財団に参加した。
1996年、オレゴン公共放送のテレビ番組『Triumph of the Nerds』で、技術ジャーナリストロバート・X・クリンジリーのインタビューを受けた。2005年にも PBS のテレビ番組『NerdTV』で再びインタビューを受けている[2]。
2004年の初めには Folklore.org というウェブサイトを開設し、同サイトで Macintosh の開発エピソードを数多く語り始めた。これは2004年12月に『Revolution in the Valley』として書籍化された。
2005年8月、Google に入社し、Google+のサークルやPicasaをデザインした[3]。
参照
[編集]- ^ a b スーザン・ラマース 著、岡 和夫 訳『実録!天才プログラマー』株式会社アスキー、1987年7月11日、284頁。ISBN 4-87148-363-0。
- ^ NerdTV #1: Andy Hertzfeld
- ^ O'Hear, Steve「アンディー・ハーツフェルド が語るジョブズ映画、ジェネラルマジック、そしてGoogle時代の自分 | TechCrunch Japan」『TechCrunch Japan』。2018年4月9日閲覧。
参考文献
[編集]- Andy Hertzfeld, Revolution in the Valley, O'Reilly Books, 2004, ISBN 0-596-00719-1
- 柴田文彦(訳) 『レボリューション・イン・ザ・バレー 開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏』 オライリー・ジャパン、2005年、ISBN 4873112451
- Alan Deutschman, The Second Coming of Steve Jobs, Broadway Books, 2000, ISBN 0-7679-0433-8
- 大谷和利(訳) 『スティーブ・ジョブズの再臨 世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活』 毎日コミュニケーションズ、2001年、ISBN 4839902828