アントニオ・カラッチ
アントニオ・カラッチ Antonio Carracci | |
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アゴスティーノ・カラッチによる肖像画 | |
生誕 |
1583年という説もある。 ヴェネツィア |
死没 |
1618年4月8日 ローマ |
アントニオ・カラッチ(Antonio Carracci、1583年生まれとする説もあり、1618年4月8日に没)はイタリアの画家である。ボローニャ派の画家、アゴスティーノ・カラッチの息子である。[1] [2]
略歴
[編集]ヴェネツィアで生まれた。生年は確かではなく、亡くなった時の年齢が35歳であったとする文献と25歳であったとする文献がある。ボローニャ派の画家、アゴスティーノ・カラッチとヴェネツィアのコルテザンの間の非嫡出子であり[1][2][3]、叔父にアンニーバレ・カラッチがいる。幼い頃から絵の才能を示し、父親や父親の従兄、ルドヴィコ・カラッチから絵を学んだ[4]。ボローニャの美術学校、Accademia degli Incamminatiで学び[5] 、1602年に父親が亡くなると、ローマに移り、叔父のアンニーバレ・カラッチのもとで働いた。
ローマでは、1603年からアンニーバレ・カラッチの助手として、パラッツォ・ファルネーゼやパラッツォ・アルドブランディーニなどの壁画を描く仕事をしたと考えられている[4]。1609年にアンニーバレ・カラッチが亡くなった後は、一旦ボローニャに戻るが、すぐに再びローマで活動を始め、亡くなるまでローマで働いた。
1609年からはグイド・レーニのもとで働き、クイリナーレ宮殿の礼拝堂(La cappella dell'Annunziata)の壁画を制作し、サン・セバスティアノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂にも壁画を描いた。
教皇パウルス5世のもとで有力者だった枢機卿、ミケランジェロ・トンティ(Michelangelo Tonti)などの強力な支援を受けて、さまざまな教会の装飾画を描いたが、1618年に亡くなった。
作品
[編集]-
「大洪水」(1616/1618)
ルーブル美術館蔵 -
アドニスの死を嘆くヴィーナス
ナショナル・トラスト蔵 -
ラトナと農民
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聖人たちと聖母子
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エウロペの略奪
ボローニャ、Pinacoteca Nazionale蔵 -
リュート奏者
参考文献
[編集]- ^ a b Carracci . Art, A Brief History: Arts, Art history. [dostęp 2017-06-14]. [zarchiwizowane z tego adresu (2017-06-14)].
- ^ a b Antonio Marziale Carracci. Revolvy. [dostęp 2017-06-14]. [zarchiwizowane z tego adresu (2017-06-14)].
- ^ Antonio Marziale Carracci. Catholic Encyclopedia. [dostęp 2017-06-14]. [zarchiwizowane z tego adresu (2012-12-05)].
- ^ a b CARRACCI, Antonio – biography . Web Gallery of Art. [dostęp 2017-06-14]. [zarchiwizowane z tego adresu (2017-06-14)].
- ^ Antonio Carracci. Ketterer Kunst. [dostęp 2017-06-14]. [zarchiwizowane z tego adresu (2017-06-14)]..