アントニオ・デ・ブルガダ
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アントニオ・デ・ブルガダ Antonio de Brugada | |
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ブルガダによる1797年のスペインとイギリスの間の海戦を描いた作品 | |
生誕 |
1804年12月5日 スペイン、マドリード |
死没 |
1863年2月17日 スペイン、サン・セバスティアン |
アントニオ・デ・ブルガダ(Antonio de Brugada、1804年12月5日 - 1863年2月17日)はスペインの画家である。海洋画を描いた。フランシスコ・デ・ゴヤの死後、ゴヤの「黒い絵」などの作品目録を作ったことでも知られる。
略歴
[編集]マドリードに生まれた。王立サン・フェルナンド美術アカデミーで学び、1821年に卒業した。1823年にスペインで政変があり、自由主義的な活動をしていたブルガダはフランスのボルドーに亡命することになり[1]、その少し後にボルドーに亡命してきた78歳のフランシスコ・デ・ゴヤと知り合い、友人となった[2]。1828年にゴヤがボルドーで亡くなった後、ブルガダはスペインに帰国し、コヤの息子の依頼で、ゴアが1820年から1823年まで住んだ別荘、「聾者の家」(Quinta del Sordo)でゴヤの作品の目録作りに従事した[3]。再び、フランスに戻り1834年までフランスに滞在した[1]。
風景画や、歴史上の海戦などを題材に海洋画を描いた。1856年と1858年のスペイン全国展(Exposición nacional)に出展し、佳作を受賞した。1833年に王位に就いたスペイン女王イサベル2世によって宮廷画家に任じられた。
作品はマドリードの海事博物館などに収蔵されている[3]。
作品
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フランスの町と河川港の眺め
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「レパントの海戦」
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灯台と難破船
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波浪のなかの汽船イザベル2世号
参考文献
[編集]- ^ a b Enrique Arias Anglés, Antonio de Brugada. Pintor romántico y liberal, Madrid, Avapiés, 1989
- ^ Jacques Fauque, Ramón Villanueva Etcheverría, Goya y Burdeos (1824-1828), Saragozza, Ediciones Oroel, 1982, pp. 198-200.
- ^ a b Antonio de Brugada, voce nell'Enciclopedia del Museo del Prado, su museodelprado.es. URL consultato il 23 luglio 2013.