アントニオ・デ・ペレーダ
アントニオ・デ・ペレーダ Antonio de Pereda | |
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デ・ペレーダ作「はかなさの寓意」、美術史美術館蔵 | |
生誕 |
1611年ころ バリャドリッド |
死没 |
1678年1月30日 マドリード |
アントニオ・デ・ペレーダ(Antonio de Pereda y Salgado、1611年ころ - 1678年1月30日)はスペインの画家である。宗教画も描いたが、「人生の空しさの寓意」を象徴する静物画「ヴァニタス」や「静物画(ボデゴン)」を描いたことで最もよく知られている。
略歴
[編集]現在のカスティーリャ・イ・レオン州のバリャドリッドで生まれた。同名の父親は、あまり知られていない画家であったが、デ・ペレーダが11歳になった1622年に亡くなった。バリャドリッドの画家、ディエゴ・バレンティン・ディアス(Diego Valentin Diaz: 1586 - 1660) に学んだ後[1]、1627年ころ、母親とマドリードに移った。マドリードではペドロ・デ・ラス・クエバス(Pedro de las Cuevas: 1568–1635)の画塾で学んだ[2]。デ・ラス・クエバスの画塾で学んだ画家にはフアン・カレーニョ・デ・ミランダなどもいた。
この時期の国王、フェリペ3世の宮廷は、貴族たちがフランドルやイタリアから画家を招き、スペイン宮廷には多くの画家が働いていた。デ・ペレーダも高官の支援を受け、イタリアから1617年にマドリードに移ってきて、騎士に任じられた画家、建築家のジョバンニ・バッティスタ・クレシェンツィ(Giovanni Battista Crescenzi: 1577–1635) のもとで働き、ブエン・レティーロ宮殿の部屋の装飾画などを描いた。
クレシェンツィが1635年に亡くなった後も宮廷の仕事もしたが、その後は教会のための宗教画や、静物画、特に「ヴァニタス」と呼ばれる「人生の空しさの寓意」を表す静物画を多く描いた。
作品
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San Domenico Soriano (1664)
Cerralbo Museum蔵 -
トビトの目を直すトビア
Bowes Museum 蔵 -
無原罪の御宿り
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厨房の道具の乗ったテーブルで働く2人の女性
ナショナル・トラスト蔵 -
黒檀のチェストのある静物(1652)
エルミタージュ美術館蔵 -
ヴァニタス
ウフィツィ美術館蔵
脚注
[編集]- ^ Jean Philippe Breuille, « Deux siècles d’art en Espagne », Le Monde de la Peinture, no 13, 1er trimestre 1982
- ^ Linda Mann Art Gallery-Antonio de Pereda
参考文献
[編集]- Dictionnaire Bénézit, Dictionnaire critique et documentaire des peintres,sculpteurs, dessinateurs et graveurs de tous les temps et de tous les pays, vol. 10, Paris, Éditions Gründ, janvier 1999, 13440 p. (ISBN 978-2-7000-3020-4), p. 736