アントニオ・ファブレス
アントニオ・ファブレス Antoni Fabrés | |
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自画像 | |
生誕 |
1854年6月27日 スペイン、Vila de Gràcia |
死没 |
1938年1月24日 ローマ |
アントニオ・ファブレス(Antoni Fabrés i Costa、1854年6月27日 - 1938年1月24日)は、スペイン(カタルーニャ)生まれの画家である。イタリアやメキシコ、フランスなどで働いた。
略歴
[編集]バルセロナ近郊のグラシア(Vila de Gràcia)で生まれた。下絵画家の父親から彫刻と絵画を学び、1867年に13歳で賞を得るなどして、その年バルセロナのジョッチャ美術学校(Escola de la Llotja)に入学し、美術学校では彫刻を学んだ。1875年にイタリア留学の奨学金の得られる賞を受賞し[1] 、ローマに移り、それ以後は主に画家として活動した。ローマではマリアノ・フォルトゥーニ(1838-1874)の影響を受けた「オリエンタリズム」の画家たちの中で活動した。10年ほどローマで活動した後、1886年にバルセロナに戻り、1894年年からはパリに移り、パリの画商、グーピル商会の支援などを受けて人気のある画家になり、パリにスタジオを開いた[2]。
1902年にポルフィリオ・ディアス大統領のもとで近代化を進めるメキシコ政府に招かれて、サンチャゴ・レブル(Santiago Rebull Gordillo: 1829-1902)の後任として、メキシコシティの国立美術学校(Escuela Nacional de Bellas Artes)の美術教師になった。メキシコではアール・ヌーヴォーの様式でディアス大統領の邸の装飾画も描いた[3]。校長との対立などのために1908年にヨーロッパに戻った。
その後も人気のある画家として活動し、1938年にローマで83歳で没した[4]。
1926年にカタルーニャの美術館理事会(Junta de Museus de Catalunya)に多くの作品を寄贈したが、その条件として、彼の作品を展示する回廊の設置を求めたが、何度かのファブレスの抗議にも係わらず、その要求は実現しなかった。
作品
[編集]-
マスケット銃兵(1885/1886)
カタルーニャ美術館蔵 -
学生サトゥルニノ・エランの肖像画
-
イスラムの美しい王妃
カタルーニャ美術館蔵 -
砥ぎ師
カタルーニャ美術館蔵
脚注
[編集]参考文献
[編集]- DDAA (1992). La col·lecció Raimon Casellas. Publicacions del Mnac/ Museo del Prado. ISBN 84-87317-21-9.
- Diccionario de arte Oxford, Edicions 62, Barcelona, 1996, ISBN 84-297-4227-1
- Fabrés y Costa, Antonio María. Museo Nacional del Prado.
- El pintor Antonio Fabrés, Instituto de Investigaciones Estéticas de la UNAM, 1981.
- Noyola Anticuarios. "Biography of Antonio Fabres", Antonio Fabres on Noyola Anticuarios. (en inglés.)
- Fabres y su tiempo, 1854-1938, INBA, Museo de San Carlos (1994).
- Eva Galán: Pintores del romanticismo andaluz. Universidad de Grenada, Grenada, 1994.
- Carlos González López, Montserrat Martí Ayxelá: Spanish Painters in Roma (1850-1900), Sammer Galleries, Madrid, 1988.
- Manuel Ossorio y Bernard: Galería Biográfica de artistas españoles del siglo XIX, Librería Gaudí, Madrid, 1975.