アンドレア・アッピアーニ
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アンドレア・アッピアーニ Andrea Appiani | |
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自画像 | |
生誕 |
1754年5月31日 イタリア,ミラノ |
死没 |
1817年11月8日 イタリア,ミラノ |
アンドレア・アッピアーニ(Andrea Appiani、1754年5月31日 - 1817年11月8日)はイタリアの画家である。ナポレオンの政権の支配下のミラノで働いた。
略歴
[編集]ミラノの医者の息子に生まれた。1769年からミラノで医学を学び始めるが、美術に転じ、ミラノの画家、ジュディッチ(Carlo Maria Giudici:1723–1804)に学んだ。壁画の技法を学び、1777年に教会の壁画を描き、その後も多くの壁画を描いた。
1790年と1791年にローマ、パルマ、ボローニャ、フィレンツェ、ナポリを旅し各地の装飾画を研究し、ミラノでの仕事に役立てた。フランス革命の後、1796年に、ミラノがナポレオンの軍の支配下に入ると、ナポレオンやその家族の肖像画を描き、パリの送られる芸術作品を選定する委員を務めた。イタリア王にもなったナポレオン・ボナパルトの最初の宮廷画家に1804年に任じられた。ミラノのブレラ美術アカデミー(Accademia di Brera)の会員にも選ばれた。
1813年に脳卒中を患い、麻痺が残ったことにより、作品制作から離れた。1814年にナポレオンによって作られたイタリア王国が崩壊し、その2年後にミラノで死去した。
作品
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Fortunée Hamelin (1798)
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ナポレオン・ボナパルト (1805)
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ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー (1800/1801)
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ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (1807)
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ミラノの教会の装飾画
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Parnassus (1811)
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la Toilette de Junon (1811)
参考文献
[編集]- Giovanni Berchet, Allocuzione di Giovanni Berchet nei funerali del pittore Andrea Appiani: celebrati nella Chiesa della Passione il giorno 10 di novembre 1817, Ferrario, 1817.
- Gaetano Bergamaschi, Le Opere di Andrea Appiani, Milano, 1849.
- Antonio Caimi, Delle arti del disegno e degli artisti nelle provincie di Lombardia dal 1777-1862, Milano, Presso Luigi di Giacomo Pirola, 1862.
- Angela Ottino Della Chiesa, Andrea Appiani, in Dizionario biografico degli italiani, vol. 3, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 1961. URL consultato il 21 marzo 2016. Modifica su Wikidata
- Francesco Gianni, Poesie, Volumi 1-3, 1827.
- Ugo Ojetti, APPIANI, Andrea, in Enciclopedia Italiana, Roma, Treccani, 1929. URL consultato il 18 febbraio 2015.