アンナライン・クリエル
プロフィール | |
---|---|
生年月日 | 1955年7月28日 |
出身地 |
南アフリカ共和国 ハウテン州プレトリア |
毛髪の色 | ブロンド |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | ― cm / ― kg |
活動 | |
ジャンル | ファッション |
備考 | ミス・ワールド1974 |
他の活動 | 女優 |
事務所 | Johnny Casablanca Model Management Agency |
外部リンク | |
データベース | IMDb |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
アンナライン・クリエル(Anneline Kriel、1955年7月28日 - )は、南アフリカ共和国のモデル・女優。ミス・ワールド1974準優勝。名前のカタカナ表記は株式会社共同通信イメージズに従う[1]。
経歴
[編集]1955年7月28日、ハウテン州プレトリアに生まれる。二人の兄弟姉妹を持つ。
ムプマランガ州ンカンガラ郡の鉱山都市ヴィットバンクに育つ。ジェネラル・ヘルツォーク・ハイスクール(Hoërskool Generaal Hertzog)卒業。
プレトリア大学入学。演劇を学ぶ。在学中に"Miss South Africa"優勝。ミス・ワールドの出場権を得る。
1974年、ミス・ワールド準優勝。このとき優勝したヘレン・モーガンはタイトルを返上したため繰り上げでミス・ワールドとなるチャンスが巡ってきた。最初彼女はそれを受け取るべきか自信はなかった。オランダ改革派の牧師(priest)になるべく訓練を受けていた当時のボーイフレンドは反対した(後に別れる)[2]。
ミスとしての任務を果たすため世界各国を歴訪するのだが、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に対する反発により、米国・オーストラリアでは彼女の入国を拒絶した。その他いくつかの国も安全を保障できないと抗議。祖国に帰ると大歓迎を受けたが、彼女の父は貧しくてテレビを買えず、電気店でインタビューを見た[2]。
その後
[編集]1981年、シングル"He Took Off My Romeos"をリリース[3]。その他、アフリカーンス語の映画や国際映画"Kill and Kill Again"に出演[4]。
また、ミス・ワールドの経歴を生かして5年間ファッションモデルとしてイタリアで働く。"Johnny Casablanca Model Management Agency"のもと、ニューヨークとパリでも働く。
現在、現在、ストリートチルドレンと一緒に働くチャリティー活動を行う[2]。
作品
[編集]年 | タイトル | 役 | 備考 |
---|---|---|---|
1974 | Somer | Linda du Preez | 映画 |
1976 | Storieboekmoord | テレビシリーズ | |
1978 | Iemand Soos Jy | Roelien Allman | 映画 |
1981 | Kill and Kill Again[5] | Kandy Kane | 映画 |
1981 | Oh George | Amanda | テレビシリーズ |
1984 | The Wrong time of the Year | 舞台 | |
1985 | The Marriage-Go-Round | 舞台 | |
1985 | Van der Merwe PI[6] | Angel Labuschagne | 映画 |
1985 | Skoppensboer | Hedda Steger | テレビシリーズ |
1987 | Ballade vir n Enkeling 1st Season | Alicia Francke | テレビシリーズ |
1989 | The Tangent Affair | Venetia Tangent | 映画 |
1990 | Reason to Die | Lena Wallace | 映画 |
2017 | Half uur met Hanlie | Herself | テレビ |
2019 | Tussen Ons | Herself | テレビ |
私生活とゴシップ
[編集]1976年3月、彼女のヌード写真がメディアに流出し、The Sunday Times紙の1面に掲載される。当時の交際相手Richard Loringと一緒に裸で写っていた。これはRoy Hilligennが撮影し、英国の新聞に10万ラントで売ったものである[7]。
1980年、ニューヨークから祖国に戻り、ホテル産業とリゾート産業のビジネスマン・Sol Kerznerと結婚。1985年、離婚[8]。
1985年、Philip Tuckerと結婚、2子を儲ける。1994年、離婚[9]。
1997年、最初の夫の元弟子であるPeter Baconと[5]結婚、モーリシャスに移る[10]。
その他
[編集]ミス・ワールドの民族衣装の審査で着用していた有名なドレス(クルーガーラントがたくさん縫い付けられたもの)は、2017年、西ケープ州ケープタウンの"Prins and Prins Diamonds Museum of Gems & Jewellery"で展示された。また、イブニングドレスの審査で着用していた衣装は2018年、同博物館で展示された[11]。
出典
[編集]- ^ “美人コンテスト関連 (コード 2015050100280) の画像”. KYODO NEWS IMAGELINK. 株式会社共同通信イメージズ. 2019年5月26日閲覧。
- ^ a b c “A Race Apart: the beauty queens of the apartheid era”. karenbartlett.co.uk (2010年6月25日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ “South Africa's Vinyl Music History Part 1”. rock.co.za. 2019年5月28日閲覧。
- ^ Forbes Williams (1992) (英語). Motel View. Victoria University Press. p. 60. ISBN 9780864732194
- ^ a b “Mrs Anneline KRIEL”. whoswhosa.co.za. 2008年2月26日閲覧。
- ^ “VAN DER MERWE P.I.”. mnetcorporate.co.za. MultiChoice Support Services (Pty) Ltd. 2013年4月22日閲覧。
- ^ Nadine Dreyer (2006) (英語). A Century of Sundays 1906-2006; 100 Years Of Breaking News In The Sunday Times. Zebra. p. 229. ISBN 9781770071063
- ^ “The Sun king”. The Telegraph (2004年7月18日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ Leo Michel Abrami (2009-03-18) (英語). The Adventures of Rabbi Arieh: A Destined Mission Around the World. iUniverse. p. 187. ISBN 9781440121838
- ^ “Peter Bacon: He's come from the casinos of Sun City to play one-armed bandits in Britain”. independent.co.uk (2004年9月19日). 2013年4月21日閲覧。
- ^ Petré Prins (2019). “Jewels for a queen”. Plus 50 (Plus 50 Media (Pty) Ltd) 14 (2): 13.
外部リンク
[編集]- Mrs Anneline KRIEL - WHO'S WHO
- Anneline Kriel - IMDb
- Anneline Kriel - 本人YouTube
- 本人Facebook
- anneline_kriel - 本人Instagram