アンナ・フォン・プロイセン (1576-1625)
アンナ・フォン・プロイセン Anna von Preußen | |
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ブランデンブルク選帝侯妃 | |
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在位 | 1608年7月28日 - 1619年12月23日 |
出生 |
1576年7月3日 プロイセン公国、ケーニヒスベルク |
死去 |
1625年8月30日(49歳没) ドイツ国民の神聖ローマ帝国 ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン |
埋葬 | プロイセン公国、ケーニヒスベルク大聖堂 |
配偶者 | ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムント |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | プロイセン公アルブレヒト・フリードリヒ |
母親 | マリー・エレオノーレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク |
アンナ・フォン・プロイセン(Anna von Preußen, 1576年7月3日 - 1625年8月30日)は、プロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの長女で、ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントの妃。
生涯
[編集]アルブレヒト・フリードリヒは、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世と妃マリア(神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘)の娘マリー・エレオノーレとの間に7人の子をもうけていたが、2人の男子はいずれも夭折していた。そのため、アルブレヒト・フリードリヒの死後はその後見を務めていたブランデンブルク選帝侯家(同じホーエンツォレルン家の宗家にあたる)がプロイセンを相続するという契約がなされていたが、この相続契約を補強するものとして、選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの長男ヨハン・ジギスムントとアルブレヒト・フリードリヒの長女アンナの結婚が取り決められた。アンナはまた、母方を通じてクレーフェ公領、マルク伯領、ラーヴェンスベルク伯領の相続権も有していた。
アンナとヨハン・ジギスムントは、1594年10月30日にケーニヒスベルクで結婚した。その後、1603年にアンナの四妹エレオノーレがヨアヒム・フリードリヒの後妻となり、1604年に次妹マリーがヨアヒム・フリードリヒの弟であるバイロイト辺境伯クリスティアンと結婚し、プロイセンとブランデンブルクの関係はさらに強化された。
1618年、父アルブレヒト・フリードリヒが死去すると、既に選帝侯位を継いでいた夫ヨハン・ジギスムントがプロイセン公も継承するが、翌1619年に自身も死去し、アンナとの間の長男ゲオルク・ヴィルヘルムがプロイセン公兼ブランデンブルク選帝侯となった。
子女
[編集]アンナはヨハン・ジギスムントとの間に4男4女をもうけた。
- ゲオルク・ヴィルヘルム(1595年 - 1640年) - プロイセン公及びブランデンブルク選帝侯
- アンナ・ゾフィー(1598年 - 1659年) - ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ・ウルリヒと結婚。
- マリア・エレオノーラ(1599年 - 1655年) - スウェーデン王グスタフ2世アドルフと結婚。
- カタリーナ(1602年 - 1644年) - トランシルヴァニア公ベトレン・ガーボルと結婚、後にザクセン=ラウエンブルク公フランツ2世の息子フランツ・カールと再婚。
- ヨアヒム・ジギスムント(1603年 - 1625年)
- アグネス(1606年 - 1607年)
- ヨハン・フリードリヒ(1607年 - 1608年)
- アルブレヒト・クリスティアン(1609年)