アンヌ・ラスカリス
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アンヌ・ラスカリス(Anne Lascaris, 1487年11月 - 1554年7月)は、仏伊国境地帯の小領邦タンド伯爵領の女子相続者。
生涯
[編集]ヴェンティミーリア、マーロ、プレラおよびマントンの領主でもあったタンド伯ジャナントニオ2世・ラスカリスと妻のイザボー・ダングルール=エトジェの間の娘[1]。系譜上はヴェンティミーリア家の分枝ラスカリス・ディ・ヴェンティミーリア家に属する。
1498年2月10日にネブサン子爵ルイ・ド・クレルモン=ロデーヴと最初の結婚をするが[1]、まもなく死別した。
1501年1月28日にヴィラール伯ルネ・ド・サヴォワと再婚[1]。間に以下の子をもうけた[1]。
- クロード (1507年 - 1566年) - タンド伯、1561年よりソムリーヴ伯、プロヴァンス州知事(在任1525年 - 1566年)
- マドレーヌ(1510年ごろ - 1586年) - 1526年フランス大元帥アンヌ・ド・モンモランシー公爵と結婚
- オノラ(1511年 - 1580年) - ヴィラール侯爵、タンド伯、ソムリーヴ伯、フランス元帥、フランス提督
- マルグリート(? - 1591年) - ブリエンヌ伯アントワーヌ2世・ド・リュクサンブールと結婚
- イザベル(生没年不詳) - デュ・ブシャージュ伯ルネ・ド・バタルネー(アンベール・ド・バタルネーの孫)と結婚、娘マリーはアンヌ・ド・ジョワイユーズ公爵の母
男兄弟がいなかったため、1509年に父が死ぬと、夫とともにタンド伯爵領を相続した。1515年、モナコ領主リュシアンにマントンの所領を売却し、マントンは1848年フランス革命までモナコ公国に帰属することになった。