アンペルマン
アンペルマン(独: Ampelmännchen, Ampelman)とは、旧東ドイツの歩行者信号機で使われていた人の形のマークの名前。
概要
[編集]アンペルマンは1961年、東ドイツの交通心理学者カール・ペグラウによってデザインされ[1]、検討の後、1969年に東ベルリンの都心に登場した。1970年には公的に歩行者用信号として認められ、次第に東ドイツ各地へと広がっていった。
ドイツ再統一に伴い、当初は西ドイツで使用されていた信号機に置き換えられる予定だった。しかし、かわいらしいデザインに親しみを感じ、また歩行者信号機として優れたデザインであることを生みの親カール・ペグラウ博士と若きデザイナーのマルコス・ハックハウゼンが「アンペルマンを救え」とメディアにも働きかけ、アンペルマンの撤去を免れ[2]、現在ではドイツの首都ベルリン州の正式制定歩行者信号機となった。
2000年代の光源のLED化に際してもデザインが承継され、2015年現在では旧西ベルリンも含め、ベルリンの80%以上の信号機が、東生まれのアンペルマンになっている。またリューベック、ハイデルベルク、シュトゥットガルトなど旧西ドイツ各地でもアンペルマンを使用した信号機が設置されている。
アンペルマンは、ステッカーやマグカップなど600種のグッズがアンペルマン・ベルリンから販売されており、ベルリンや旧東ドイツ各地のお土産として世界的な人気を博している。
アンペルフラウ
[編集]アンペルフラウ(独: Ampelfrau, 別名:Ampelweibchen, Ampelmädchen)は、アンペルマンの女の子バージョンとして、東西ドイツ統一後の2004年に登場した。三つ編みの女の子がモチーフになっている。導入されたツヴィッカウ市の交通標識製造会社がデザインしたものである。
書籍
[編集]アンペルマンブック 高橋徹(郁文堂)©AMPELMANN Berlin ISBN 978-4261073263
脚注
[編集]- ^ “ゴミ扱いされたキャラ「アンペルマン」が、ベルリン名物になれた理由”. withnews (2018年4月11日). 2018年4月14日閲覧。
- ^ 若尾祐司、井上茂子『ドイツ文化史入門 16世紀から現代まで』昭和堂、2011年、320頁。ISBN 978-4-8122-1139-7。
関連項目
[編集]- ベルリン
- ベルリンの壁
- 東ドイツ
- 西ドイツ
- オスタルギー
- 津和野町(島根県) - 人口は7,000人程だが、津和野出身の森鷗外が軍医として留学した縁で1995年より区民人口34万人のベルリン市中央区と姉妹都市を締結。津和野町営バス車体塗装や古橋酒造の発泡日本酒ラベルへのアンペルフラウ起用、他、アンペルマン公式ショップの複数出店など。解説HP(中段付近より)
- 小緑人 - アンペルマンに影響を受けた台湾の信号機
外部リンク
[編集]「ベルリンでさーて何を食おかな?」AMPELMANN日本大使のBlog
- Gefallener Engel テューテほりっく
- ANA Latte
- アンペルマン・ショップ 公式HP(ドイツ語)