アンリ・ゾンゴ
表示
アンリ・ゾンゴ | |
---|---|
Henri Zongo | |
経済振興大臣 | |
任期 1983年8月4日 – 1989年9月19日 | |
大統領 | トーマス・サンカラ ブレーズ・コンパオレ |
後任者 | トーマス・サノン |
スポーツ大臣 | |
大統領 | トーマス・サンカラ |
個人情報 | |
死没 | 1989年9月19日 ブルキナファソ |
死因 | 処刑 |
兵役経験 | |
所属国 | ブルキナファソ |
最終階級 | 大尉 |
アンリ・ゾンゴ(Henri Zongo、生年月日不詳 - 1989年9月19日)は、ブルキナファソの軍将校および政治家である[1]。独立後のブルキナファソの政変で表舞台に立ち、2度のクーデターに関与して、3度目のクーデター未遂で首謀者として処刑された。
ゾンゴは、トーマス・サンカラ、ジャン=バティスト・ブカリー・リンガニとブレーズ・コンパオレとともに1983年クーデターを中核として率いて成功させ、サンカラを大統領に就任させた[2]。1983年8月4日に経済振興大臣に任命され[3]、処刑されるまで同職を務めた[4]。また、スポーツ大臣にも任じられ、アフリカに1984年ロサンゼルスオリンピックのボイコットを呼びかけた[5]。
その後、コンパオレとサンカラは対立するようになり、コンパオレはゾンゴとリンガニとともに1987年クーデターを起こしてサンカラを殺害した。コンパオレはゾンゴとリンガニとともに三頭政治を敷き、その筆頭となった。しかし、ゾンゴとリンガニは経済改革についてコンパオレと対立するようになり、政府を転覆させようとしているとして非難された。ゾンゴは、1989年にリンガニおよび軍人2名とともにクーデター企図の容疑で逮捕され、処刑された[1][6]。
参考文献
[編集]- ^ a b Guiguemde (30 August 2019). “Burkina Faso :: Independence - Britannica Online Encyclopedia”. Britannica. 8 September 2020閲覧。
- ^ “Burkina Faso’s Leader Ousted by Deputy”. Los Angeles Time (16 October 1987). 8 September 2020閲覧。
- ^ Prairie, Michel (2019). Thomas Sankara Speaks (Ninth ed.). Canada: Pathfinder Press. p. 471. ISBN 978-0-87348-986-7
- ^ “Burkina Faso coup leaders killed”. The Gazette: p. 40. (20 September 1989) 8 September 2020閲覧。
- ^ “Olympics Senior African sports official calls for boycott”. Clarion-Ledger: p. 26. (3 July 1984) 8 September 2020閲覧。
- ^ “Four Coup Plotters Executed in Burkina Faso”. Associated Press (20 September 1989). 8 September 2020閲覧。