コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アンリ2世・ドルレアン=ロングヴィル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンリ2世・ドルレアン=ロングヴィル
Henri II d'Orléans-Longueville
ロングヴィル公
在位 1595年4月8日 - 1663年5月11日

出生 (1595-04-06) 1595年4月6日
死去 (1663-05-11) 1663年5月11日(68歳没)
配偶者 ルイーズ・ド・ブルボン=ソワソン
  アンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ブルボン=コンデ
子女 本文参照
家名 オルレアン=ロングヴィル家
父親 ロングヴィル公アンリ1世
母親 カトリーヌ・ド・ヌヴェール
テンプレートを表示

アンリ2世・ドルレアン=ロングヴィルフランス語:Henri II d'Orléans-Longueville, 1595年4月6日 - 1663年5月11日)は、ロングヴィル公(在位:1595年4月8日 - 1663年5月11日)。フロンドの乱の主要人物の一人で[注釈 1]、ピカルディ、後にノルマンディーの総督。

生涯

[編集]

アンリ2世はロングヴィル公アンリ1世とカトリーヌ・ド・ゴンザーグの唯一の息子である[2]

反コンチーニ派で摂政マリー・ド・メディシスのお気に入りとして、コンデ公アンリ2世の計画した陰謀に参加し、その間にアンリ2世はペロンヌの町を占領した[3]。1619年、アンリ2世はピカルディー公領をルイ13世のお気に入りリュイーヌ公シャルル・ダルベールに譲り、代わりにノルマンディー公領を手に入れた[4]。1620年の夏、アンリ2世はマリー・ド・メディシスの反乱に参加したが[5]、ルーアン議会とアンリ2世が包囲したディエップの町は国王に忠実であり、アンリ2世は数ヶ月間職務を停止された。

アンリ2世は三十年戦争を終結させたヴェストファーレン条約の会談でフランスの代表団を率いて参加した[6]。和平手続きの間、アンリ2世は「Altesse(殿下)」と呼ぶよう主張し、大使の称号に関する衝突に巻き込まれた[7]

ヌーシャテル公として、ハプスブルク家の権力に対して敵対し、スイス連合の全ての州に対して神聖ローマ帝国から正式に免税を勝ち取った。

1642年、アンリ2世はアンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ブルボン=コンデと結婚した[2]。アンヌの弟はフロンドの乱の首謀者コンデ公ルイ2世であった。リュイユの和議(1649年3月11日)により最初の内乱が終結した後、1640年1月14日にマザランは突然にコンデ公ルイ2世とその弟コンティ公、アンリ2世を逮捕し、フロンドの乱が再び勃発した[8]

家族

[編集]

1617年4月10日、パリにおいてアンリ2世はルイーズ・ド・ブルボン=ソワソンと結婚し[1]、以下の子女が生まれた。

  • マリー(1625年 - 1707年) - ヌムール公アンリ2世と結婚[1]
  • ルイーズ(1626年 - 1628年)
  • 子(1634年)

最初の妃の死後、1642年にアンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ブルボン=コンデと再婚し、以下の子女が生まれた。

  • シャルロット・ルイーズ(1644年 - 1645年) - デュノワ嬢(Mademoiselle de Dunois)[1]
  • ジャン・ルイ(1646年 - 1694年) - 9代ロングヴィル公(1663年 - 1668年)[2]
  • マリー・ガブリエル(1646年 - 1650年)[1]
  • シャルル・パリ(1649年 - 1672年) - 10代ロングヴィル公(1668年 - 1672年)[2]

注釈

[編集]
  1. ^ アンリ2世はエストゥトヴィル公、クロミエ公、ヌーシャテル公、ヴァランガン公、シャトライヨン公およびデュノワ伯でもあった[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e Hillman 2014, p. 8.
  2. ^ a b c d Ward, Prothero & Leathes 1911, p. xii.
  3. ^ d'Aubigné 2007, p. 367.
  4. ^ Kettering 2008, p. 99.
  5. ^ Cook & Broadhead 2006, p. 22.
  6. ^ Croxton 2013, p. 107.
  7. ^ May 2017, p. 87.
  8. ^ Mousnier 1970, p. 497-498.

参考文献

[編集]
  • d'Aubigné, Agrippa (2007). Œuvres complètes: Écrits politiques. Champion 
  • Cook, Chris; Broadhead, Philip (2006). The Routledge Companion to Early Modern Europe, 1453-1763. Routledge 
  • Croxton, Derek (2013). Westphalia: The Last Christian Peace. Springer 
  • Hillman, Jennifer (2014). Female Piety and the Catholic Reformation in France. Routledge 
  • Kettering, Sharon (2008). Power and Reputation at the Court of Louis XIII: The Career of Charles D'Albert, Duc de Luynes (1578-1621). Manchester University Press 
  • May, Niels F. (2017). “Stage sovereignty or aristocratic values? Diplomatic ceremonial at the Westphalian peace negotiations (1643-1648)”. Practices of Diplomacy in the Early Modern World c.1410-1800. Routledge 
  • Mousnier, R. (1970). “French Institutions and Society 1610-61”. The New Cambridge Modern History. 4, The Decline of Spain and the Thirty Years War. Cambridge University Press 
  • The Cambridge Modern History. XIII. Cambridge at the University Press. (1911) 
先代
アンリ1世
ロングヴィル公
1595年 - 1663年
次代
ジャン・ルイ
先代
フランソワ3世英語版
サン=ポル伯
1631年 - 1662年
次代
ジャン・ルイ