アーサー・ウィン
アーサー・ウィン | |
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生誕 |
1871年6月22日 イングランド・リヴァプール |
死没 |
1945年1月14日(73歳没) アメリカ合衆国 フロリダ州クリアウォーター |
国籍 | イギリス |
市民権 |
イギリス(1871年 - 1945年) アメリカ合衆国(1920年 - 1945年 ) |
職業 | 新聞記者、ヴァイオリニスト |
著名な実績 | クロスワードパズルの考案 |
アーサー・ウィン(英語: Arthur Wynne, 1871年6月22日 - 1945年1月14日)は、イギリス出身の新聞記者である。1913年にクロスワードパズルを考案した。
解説
[編集]リヴァプールでリバプール・マーキュリー紙の記者の家庭に生まれ、言葉遊びやヴァイオリンを嗜む少年時代を過ごす[1]。
新聞記者志望であったが、父から同じ職業に就くことは反対されていたため[1]、19歳の時に単身で米国に渡りピッツバーグ・プレスの記者になる[2]。また、ピッツバーグ交響楽団にも所属し、ヴァイオリンを担当する[2]。
ニュージャージー州シダーグローブに移り、ニューヨーク・ワールドの記者となる[1]。
1913年12月21日、ニューヨーク・ワールド日曜版に、子供時代に遊んだ魔方陣型の単語パズル「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」にヒントを得て作成したダイヤ型の英単語パズルを掲載する[1]。当初のパズル名は「ワードクロス・パズル(word-cross puzzle)」であったが、後に「クロスワード(crossword)」に改名された[3]。ちなみに、ハイフンがないのは誤植によるものである。さらに初期のダイヤ型を改良し、正方形の黒いマス目方式も開発した[2]。同紙のクロスワードパズル作成は1921年まで担当した。上司にクロスワードパズルの著作権や商標の提案をしたが、却下されている[4]。常連だったニューヨークのパーム・レストランには似顔絵が残されている[1]。
1930年代はハースト・コーポレーションに勤務した[1]。62歳の時に娘が誕生している[4]。
1941年、健康上の理由からクリアウォーターに移り、 1945年1月に死亡した。享年73。遺体は火葬されメキシコ湾に散骨された[1]。娘によると、クロスワードパズルによる収入はなかったという[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h Happy 100th birthday to the crossword puzzle! Enter our contest below.ワシントンポスト 2013年11月30日
- ^ a b c The History of Crossword PuzzlesThoughtCo.com 2017年12月20日
- ^ Explore the history and facts of crossword puzzlesThe Crescent-News 2018年1月28日
- ^ a b Searching for the crossword inventor: a Clearwater connectionタンパベイ・タイムズ 2013年11月1日