アーサー・エジャートン (第3代ウィルトン伯爵)
第3代ウィルトン伯爵アーサー・エドワード・ホランド・グレイ・エジャートン(英語: Arthur Edward Holland Grey Egerton, 3rd Earl of Wilton、1833年11月25日 – 1885年1月18日)は、イギリスの貴族、政治家。1833年から1882年までグレイ・ド・ウィルトン子爵の儀礼称号を使用した[1]。保守党に属し、庶民院議員(在任:1859年 – 1865年、1873年 – 1874年)を務めた[2][3]。
生涯
[編集]第2代ウィルトン伯爵トマス・エジャートンと1人目の妻メアリー・マーガレット(Mary Margaret、旧姓スミス=スタンリー(Smith-Stanley)、1801年3月23日 – 1858年12月16日、第12代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの娘)の息子として、1833年11月25日に生まれた[1]。1845年から1850年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1851年10月22日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]
1853年7月9日、ランカスター公爵所有ヨーマンリー連隊のコルネット(騎兵少尉)に任命された[5]。1857年11月13日、中尉に昇進した[6]。1860年10月に辞任した[7]。1864年3月10日、大尉として再び入隊した[8]。1869年7月12日、少佐に昇進した[9]。1882年1月11日、中佐の名誉階級を与えられた[10]。同年3月29日、中佐に正式に昇進した[11]。同年5月3日、名誉隊長(大佐)に任命された[12]。1884年10月29日に辞任した[13]。
1854年6月20日にライフガーズ第1連隊の少尉としての辞令を受けたが、同年7月初までに取り消された[14]。同年8月4日に改めて辞令を購入する形で再任命された[15]。1856年2月8日、中尉への昇進を購入した[16]。1859年8月、陸軍から引退した[17]。
1860年2月19日にマンチェスター・ライフル志願兵第1連隊副隊長に任命され[18]、1863年9月に辞任した[19]。同年10月14日、連隊の名誉隊長に任命された[20]。
1859年イギリス総選挙で保守党候補としてウェイマス・アンド・メルコム・レジス選挙区から出馬、340票(得票数2位)で当選した[3]。1865年イギリス総選挙ではわずか28票(得票数3位)しかえられずに落選した[3]。
1873年6月に保守党候補としてバース選挙区の補欠選挙に出馬、2,194票で当選した[2][21]。1874年イギリス総選挙で再選を目指したが、2,348票(得票数4位)で落選した[2]。
1875年6月14日、連合王国貴族であるランカシャーにおけるグレイ・ド・ラドクリフ男爵に叙された[1][22]。
1882年3月7日に父が死去すると、ウィルトン伯爵位を継承した[1]。1882年時点でランカシャーに8,013エーカーの、スタッフォードシャーに853エーカーの、ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャーに775エーカーの、サマセットに196エーカーの、レスターシャーに33エーカーの、シュロップシャーに1エーカーの領地を所有し、合計で年収31,234ポンド相当だった[1]。
1885年1月18日にレスターシャーのエジャートン・ロッジ(Egerton Lodge)で死去した[1]。グレイ・ド・ラドクリフ男爵位は廃絶、ウィルトン伯爵位は弟シーモア・ジョン・グレイが継承した[1]。遺言状で遺産の大半を妻に譲った[1]。
家族
[編集]1858年8月11日、エリザベス・シャーロット・ルイーザ・クレイヴェン(Elizabeth Charlotte Louisa Craven、1836年6月13日 – 1919年3月8日、第2代クレイヴェン伯爵ウィリアム・クレイヴェンの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1][23]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 725–726.
- ^ a b c Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 38. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ a b c Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 327. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 415.
- ^ "No. 21458". The London Gazette (英語). 15 July 1853. p. 1972.
- ^ "No. 22067". The London Gazette (英語). 27 November 1857. p. 4131.
- ^ "No. 22437". The London Gazette (英語). 23 October 1860. p. 3802.
- ^ "No. 22840". The London Gazette (英語). 1 April 1864. p. 1855.
- ^ "No. 23521". The London Gazette (英語). 30 July 1869. p. 4252.
- ^ "No. 25058". The London Gazette (英語). 10 January 1882. p. 96.
- ^ "No. 25089". The London Gazette (英語). 28 March 1882. p. 1415.
- ^ "No. 25103". The London Gazette (英語). 2 May 1882. p. 2000.
- ^ "No. 25409". The London Gazette (英語). 28 October 1884. p. 4656.
- ^ "No. 21569". The London Gazette (英語). 7 July 1854. p. 2119.
- ^ "No. 21578". The London Gazette (英語). 4 August 1854. p. 2391.
- ^ "No. 21848". The London Gazette (英語). 8 February 1856. p. 505.
- ^ "No. 22301". The London Gazette (英語). 26 August 1859. p. 3204.
- ^ "No. 22363". The London Gazette (英語). 6 March 1860. p. 948.
- ^ "No. 22774". The London Gazette (英語). 25 September 1863. p. 4649.
- ^ "No. 22784". The London Gazette (英語). 30 October 1863. p. 5137.
- ^ "No. 23993". The London Gazette (英語). 1 July 1873. p. 3146.
- ^ "No. 24215". The London Gazette (英語). 4 June 1875. p. 2903.
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 3 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2594.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Viscount Grey De Wilton
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Arthur Egerton
- アーサー・エジャートン - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ウィリアム・フリースタン ロバート・キャンベル |
庶民院議員(ウェイマス・アンド・メルコム・レジス選挙区選出) 1859年 – 1865年 同職:ロバート・ブルックス |
次代 ロバート・ブルックス ヘンリー・グリッドリー |
先代 チェルシー子爵 ドナルド・ダルリンプル |
庶民院議員(バース選挙区選出) 1873年 – 1874年 同職:ドナルド・ダルリンプル 1873年 アーサー・ヘイター 1873年 – 1874年 |
次代 アーサー・ヘイター ナサニエル・ボウスフィールド |
イギリスの爵位 | ||
先代 トマス・エジャートン |
ウィルトン伯爵 1882年 – 1885年 |
次代 シーモア・エジャートン |
爵位創設 | グレイ・ド・ラドクリフ男爵 1875年 – 1885年 |
廃絶 |