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アーサー・ダフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アーサー・ダフ(Arthur Duff1899年3月13日 - 1956年9月23日)はアイルランド作曲家

生涯

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ダブリン出身。少年時代はダブリンのクライストチャーチ大聖堂の合唱隊員で、アイルランド音楽アカデミーで学んだ。その後ダブリン大学トリニティ・カレッジで音楽の学位を得、後の1942年には博士号を得た。

20代前半、ダブリンの聖マティアス教会でたびたびオルガン・コンサートを開き注目を得た[1]1923年陸軍に入り、軍楽隊指揮者や軍楽学校の教官を務めた。1931年に除隊した後は演劇界に転じ、アベイ座などの劇場でウィリアム・バトラー・イェイツらの作品の付随音楽を手がけた[2]1937年にアイルランド・ラジオ放送に入り音楽プロデューサーとなった。またアイルランド放送交響楽団の指揮者として、友人のアーノルド・バックスアーネスト・ジョン・モーランの作品を取り上げた。

作品

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作品はイギリスの作曲家ピーター・ウォーロックフレデリック・ディーリアスの影響を受けており[3]、小品が中心である。初期の作品は声楽曲が多かった。管弦楽曲の代表作は5楽章の『弦楽のためのアイルランド組曲』(1940年)[4]で、1947年にはダブリンでジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団が演奏した[5]

最後の管弦楽曲は、18世紀にダブリンに在住していた作曲家たちの作品に基づいた5楽章の『ジョージ王時代のダブリンのエコー』(1956年)である[6]

脚注

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  1. ^ The Irish Times, "Organ recital", 11 February 1922
  2. ^ The Irish Times, "Irishman's Diary", 13 April 1937
  3. ^ The Irish Times, "Music of Arthur Duff", 12 September 1941
  4. ^ The Irish Times, "RDS Recital", 5 November 1940
  5. ^ The Irish Times, "Halle Orchestra concerts", 29 September 1947
  6. ^ The Irish Times, "'Prom' concert in Gaiety Theatre", 30 January 1956

外部リンク

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