アースキン・ニコルソン (第3代カーノック男爵)
表示
アースキン・ニコルソン Erskine Nicolson | |
---|---|
生誕 |
1884年3月26日 ギリシャ王国 アテネ |
死没 | 1982年10月2日 (98歳没) |
所属組織 | イギリス海軍 |
軍歴 | ? - 1924年 |
最終階級 | 中佐 |
除隊後 | 治安判事 |
第3代カーノック男爵アースキン・アーサー・ニコルソン(英語: Erskine Arthur Nicolson, 3rd Baron Carnock, DSO, JP 1884年3月26日 - 1982年10月2日)は、イギリスの貴族、軍人。弟は庶民院議員、作家として活躍したハロルド・ニコルソン[1]。
略歴
[編集]当時ギリシャ王国駐在の代理公使を務めていたアーサー・ニコルソンとその妻メアリー・キャサリンの間に生まれる[1]。ダートマス海軍兵学校を経て王立海軍に入隊[2]。1908年に発生し、近代ヨーロッパにおいて最悪の犠牲者をもたらしたメッシーナ地震の救護活動に参加した功により、1912年、イタリア王冠勲章オフィサー章を授与される[3]。1913年にイギリス海軍大学校に入学、その後軽巡洋艦戦隊の参謀将校となり、第一次世界大戦を戦う[2]。フランスでの活動により、1916年にレジオンドヌール勲章のシュヴァリエ章を受章[4]。
戦後に殊功勲章[5]と聖アンナ勲章[2]を与えられる。1924年に海軍中佐で退役し[6]、その後デヴォンの治安判事に任命された[2]。
家族
[編集]保守党の政治家第4代准男爵サー・ヘンリー・ロープスの娘、キャサリン・フレデリカ・アルバータと1919年10月9日に結婚し[7]、女子1人と男子2人をもうけた[7]。
- デイヴィッド・ヘンリー・アーサー(1920年7月10日 - 2008年12月26日)
- ピーター・トリベルヤン・アースキン(1921年9月3日 - 1942年8月)- 第二次世界大戦に従軍、戦死
- ナオミ・キャサリン・バーサ(1925年1月18日 - 1934年6月17日)
爵位は長男デイヴィッドに継承された[8]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1952年5月3日、兄フレデリックの死に伴いカーノック男爵位およびニコルソン准男爵位を継ぐ[1]。
勲章
[編集]- 殊功勲章 - 1919年受章
- イタリア王冠勲章(イタリア王国)
- 聖アンナ勲章(ロシア)
- レジオンドヌール勲章(フランス)
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c Burke (2001), p. 1109
- ^ a b c d Who's Who (1963), p. 492
- ^ "No. 28599". The London Gazette (英語). 16 April 1912. p. 2702. 2009年12月27日閲覧。
- ^ "No. 29751". The London Gazette (Supplement) (英語). 15 September 1916. p. 9081. 2009年12月27日閲覧。
- ^ "No. 31413". The London Gazette (Supplement) (英語). 20 June 1919. p. 7907. 2009年12月27日閲覧。
- ^ "No. 32965". The London Gazette (英語). 15 August 1924. p. 6138. 2009年12月27日閲覧。
- ^ a b Dod (1982), p. 47
- ^ Burke (2001), p. 1108
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Erskine Nicolson, 3rd Baron Carnock
イギリスの爵位 | ||
---|---|---|
先代 フレデリック |
カーノック男爵 1952年–1982年 |
次代 デイヴィッド |