イオン新座店
イオン新座店 ÆON NIIZA SHOPPING DEPART | |
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イオン新座店 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒352-0001 埼玉県新座市東北2-32-12 |
座標 | 北緯35度49分12秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.82000度 東経139.57444度 |
開業日 | 1979年11月23日 |
閉業日 | 2024年2月29日 |
店番号 | A038(特殊店舗扱い) |
正式名称 | 新座ショッピングデパート |
土地所有者 | 神谷東太郎 株式会社イオンリテール 三井不動産株式会社 |
施設所有者 |
神谷東太郎 株式会社尾張屋チェーン不動産事業部→株式会社ニチイ→株式会社マイカル→株式会社イオンリテール |
施工者 | 大成建設株式会社 |
商業施設面積 | 17,561 m²[1] |
中核店舗 | イオン |
店舗数 | 31店舗(内専門店28店舗,イオン系列3店舗) |
営業時間 | 朝7時-夜10時 |
駐車台数 |
1080台(立体駐車場現存時) 260台 |
前身 | 尾張屋志木店→ニチイ新座ショッピングデパート → 新座サティ |
最寄駅 | 志木駅 |
イオン新座店(イオンにいざてん)は、埼玉県新座市にかつて存在していたイオンリテール株式会社運営の総合スーパー(GMS)。新座市唯一のイオンであった。
5階・6階にコナミスポーツクラブを併設していた。
2024年2月29日19:00を持って閉店。45年の歴史に幕を下ろした[2]。
沿革[編集]
かつてこの地には「尾張屋」という埼玉県に地盤を持つローカルチェーンがあった。この新座店は尾張屋志木店をルーツに持つ。また、本項では便宜上、志木駅周辺のスーパー展開についても解説する。
尾張屋の閉店後、西友やダイエー、長崎屋(実現せず)などが相次いで出店を発表した。これを受け既に尾張屋のスーパー事業を吸収合併していたニチイは地盤のある新座市での店舗展開を決定。71年に西友、74年にダイエーが開店する中急ピッチで建設を進めることとなった。西友、ダイエー共に旗艦店扱いの店舗であり、特にダイエーは「ショッパーズプラザ」を冠する主力旗艦店であった。長崎屋は北口への出店を計画していたが浦和方面への店舗展開を決定し白紙撤回。計画予定地を三井不動産が取得し後のららぽーと志木へと繋がることとなる。
- 1978年(昭和53年)4月1日付で大規模小売店舗法の届け出完了
- 1979年(昭和54年)11月23日 - 「ニチイ新座ショッピングデパート」として開業。
- 1980年(昭和55年) 8月1日 - ピープルスポーツクラブが5,6階にオープン。
当時としては非常に珍しい室内温水プールや本格的なテニスコート、空調完備の武道場を備え本格的なスポーツを体験できる施設として話題となった。
- 1988年(昭和63年) 3月4日 - 「フレッシュニチイ ~今度のニチイは面白い~」を掲げリニューアルオープン。店名を「ニチイ新座ショッピングデパート」から「ニチイ新座店」に変更。
- 1992年-ニチイ西宮店と共に年商140億円を叩き出した。
GMS全盛の最終期となった92年度はライバルとして戦ってきた西友、ダイエーも旗艦店らしく全国トップクラスの売上を計上し志木駅周辺はGMS激戦区となった。しかし、この頃からバブル崩壊が重なり近隣のサトームセンやららぽーとでの売上が下がり始め志木駅周辺のGMSは衰退の道を歩むこととなる。
- 1995年(平成7年) 10月7日- 「ニチイ」から「サティ」へ業態転換し「ニチイ新座サティ」に名称変更。
- 1996年(平成8年)- ニチイからマイカルへの社名変更に伴い建物左側の「nichii」ロゴが取り外され新たに「MYCAL」ロゴが設置された。また、店舗名称を「ニチイ新座サティ」から「新座サティ」に変更。
- 2011年(平成23年)2月28日 - GMS事業の再編に伴い、運営会社のマイカルがイオンリテールに吸収合併され運営会社がイオンリテールに移管。
- 2011年(平成23年)3月11日 -「サティ」から「イオン」へ業態転換し「イオン新座店」と名称変更。
- 裏側駐輪場のとんがり赤屋根が撤去された
- 2019年(令和元年) - 旧ニチイ店舗の象徴でもあった立体駐車場が老朽化のため取り壊された。駐車場敷地内の駐輪場に設置されていたとんがり赤屋根も撤去された。
- 屋外大型看板が劣化により破損し撤去された。
- 2024年(令和6年)2月29日 - 「一時休業」の形で閉店。店内に入居するコナミスポーツクラブは同日をもって営業を終了した。
- 2024年 (令和6年) 4月8日から、2026年 (令和8年)1月31日の間に建物の取り壊しが行われる予定。
- 2024年(令和6年)4月 - 土地の所有者がイオンリテールから「中央日土地株式会社」及び東武に移行した。
イオンの閉店により、70年代に開業した志木駅周辺のGMSは全て姿を消し、一時代の終わりを告げた事になる。
フロア構成[編集]
階 | フロア概要 |
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6階 | コナミスポーツクラブ |
5階 | コナミスポーツクラブ |
4階 | 住まいと暮らしと手芸のフロア |
3階 | 子供と玩具・文具・雑貨のフロア |
2階 | 紳士服と肌着のフロア |
1階 | 婦人服と服飾雑貨・化粧品のフロア |
地下1階 | 総合食料品・日用雑貨・薬局とフードコートのフロア |
1階にはカメラのキタムラやイオンバイク、合鍵リペアサービスなど
2階には100円ショップmeetsや時計の誠美堂など
3階にはゲームセンターアミュージアムやスタジオシエル、雑貨屋パティズなど
5,6階はコナミスポーツクラブが入居している、1980年開業でありPeople時代から営業を続けている。
かつては4階にレストラン街が存在したが現在は地下1階のフードコートに「ラーメン匠亭」が残るのみである。
各フロアには階段、エレベータ、エスカレータのいずれかの手段を用いての移動が可能である。詳しくはイオン公式ホームページを参照されたい。
機材[編集]
旗艦店として開店したこともあり、当時の最新かつ最上位クラスの機材が投入されていた。
エレベーター :東芝エレメイトセレブラムEM9-MKII -16人搭乗可,最大積載1060kg,人荷用 1基配備。→東芝エレメイトセレブラムEM7-MKIII -20人搭乗可,最大積載1350kg,乗用。開店当時のエレベーターは現存せず、二代目を経て2016年に新型と入れ替わる形でエレメイトセレブラムは姿を消した。
エスカレータ:東芝スカイエスカレータシステム79 -部分照明全透明型,蛍光灯照明搭載 16基配備。78年生産モデルであり、東芝筆記体ロゴから横長ロゴ変更の一号機。ボディ横に制御盤を内蔵しておりモード切替と照明ONOFFが可能。88年の大規模改装の際に一括制御方式に変更されボディ内制御盤は無効化された。
従業員用エレベーター:OTIS Spec5 VF-1985年に故障のため撤去された。サーボドライブ機構搭載。建物外より非常階段横に外部制御盤の跡が確認可能。
エアコン:ダイキン工業 UC20JA-88年の大規模改装の際に設置された。冷媒はR22。4基配備。現在も稼働中。当時の最上位モデルであり、エアコン本体で空気内組成の割合が検知可能。内蔵されたセンサーにより室内温度を自動調整。
ライバルの消滅[編集]
かつての志木駅周辺はスーパー激戦区であり、在りし日のダイエー志木店(2013年閉店、現存せず。店舗ナンバー280)やららぽーと志木店(2005年閉店、現存せず。店舗ナンバー001)、西友志木店(現在のたいらや志木店、2016年に建て替え工事実施)などとしのぎを削っていたが、ららぽーとの閉店やダイエーの閉店などで事実上の一人勝ち状態となっている。同市内でイオン新座に匹敵する大規模小売店舗として「OSCデオシティ新座」「ロヂャース新座野火止店」が挙げられるが距離が離れているため競合とは言えない。
ニチイ/サティの痕跡[編集]
- 旧ニチイ店舗の見分け方として屋上広告塔の形が正方形よりの上向き長方形になっている事が挙げられる。これは中心に「鳥マーク」下側に「nichii」あるいは「ニチイ」と記載するためである。旧ジャスコ店舗は横長広告塔のためこの傾向は見られない。
- エスカレータに貼られているシールの殆どは79年の開店当時から変わっていない。
- 建物一階のエレベータホール内と建物外側自販機コーナーの公衆電話周辺では「elevator」「telephone」と書かれた看板を見ることができる。これはニチイ時代から使われている看板である。このフォントはPeopleと共通のものである。またPeopleのロゴもエレベータホール内に残されている。
- 一階、エレベータホール入り口には「AEON」マークと大規模小売店舗表示板が存在する。AEONマークの下には「MYCAL」のロゴが隠されている。2010年のGoogleMapsストリートビューでも確認可能。
- 建物三階、左側エスカレータ横のダイキン製エアコンには「ジャパンメンテナンス」と書かれた管理シールを見ることができる。「ジャパンメンテナンス」はかつてのマイカルの子会社である。また、建物内部の階段左側では「イオンディライト」と書かれたテプラの下にジャパンメンテナンスの旧ロゴが付いた看板を見ることができる。
- 建物地下入り口のカートドックではサティ時代に使用されていたカワジュン製の「カートシステム」が現役で使用されている。ボディには「SATY」と書かれたロゴが残されている。また子供向けカートには「MYCAL」と書かれたロゴがそのまま残されている。こちらも現役である。
- 建物裏口横のマッサージ機コーナーの配電盤にはニチイ最初期の「nichii」と書かれたシールを確認できる。このシールに描かれた鳥マークと旧旧ロゴが現存するのは全店舗中新座店のみである。また、このシールの存在はニチイ新座ショッピングデパートの電装部分が78年には完成していたことを示す証拠となる。
- 建物4階ではガス制御盤を見ることができる。これはニチイ時代4階にフードコートがあったことを示している。また、床の色分けにより当時の店舗区画を見分けることができる。
エピソード[編集]
- 1979年のオープンの際、オープニングイベントとしてビートたけしが招かれた[4]。
- オープン初日、当時最新型だった東芝製エレベーターが重量オーバーで動かなくなった。また、地下入り口に置いてあった馬の乗り物(子供用)が混雑により破壊された[5]。
- 1988年のリニューアルオープンの際にオープニングセレモニーとして青山孝のミニショーが行われた他、翌日には坂上忍のミニコンサート、その翌日には磁雷矢TVキャラクターショーが行われるなど豪華なイベントが行われた[6]。
- 同時期に旗艦店として開業した海老名店や東岸和田店とは兄弟店舗の扱いであるが前言の二店舗がワーナーマイカル併設であったのに対し新座店は非併設であるなどトップクラスの売上を誇る店舗にもかかわらず対応の差が見られた。奇しくも新座店は二度の転換構想(マイカルタウン化と建て直し計画)が頓挫し全イオン店舗の中でも珍しい存在となってしまった。88年の改装以降サティ転換時、イオン転換時と大きな改装を挟むこと無く存在し続けている。
- ららぽーと志木が閉店した2005年にワーナーマイカル併設の計画が持ち上がったが後に控えるはずだったマイカル新座計画への影響を考慮し白紙となった。
- ヤマダ電機の閉店時、イオン本体と隣のカミヤプラザ、ヤマダ電機の店舗を含む建物を合併し大型旗艦店に転換する構想(この3店舗の土地所有者比率の50%以上を神谷家が握っていたため十分実現可能な構想であった)が新座市に提出された。核テナントをサティとし、副テナントにビブレ、ワーナー・マイカル・シネマズ、ノジマ、未来屋書店を盛り込んだこの構想はマイカル社内で「マイカル新座計画」と呼ばれ、新座市側とも誘致協議段階にまで話が進んでいたが、イオンのGMS事業再編により白紙撤回された。イオン新座店のこの構想が練られていた当時(2009年)の年間売上金額は約137億円であり、大型旗艦店として生まれ変わらせるにはもってこいの店舗であった。また、当時の志木駅周辺のGMSの動きは非常に複雑であり、ららぽーと志木の閉店やダイエー志木店の一部フロア閉鎖、フォーシーズンズ志木へのマルイ出店決定などで客を確保する狙いがあった。ヤマダ電機(旧サトームセン)の建物はマイカルの所有物件(1999年にサトームセンより有償譲渡)であり、2010年にサティに業態転換後2012年まで営業し2013年に取り壊された[7]。
事故[編集]
- 1978年7月16日-ニチイ建設中に作業員一名が地上13メートルの高さから落下したが、奇跡的に無傷で生還した。
- 1994年10月23日- 新座サティ時代、大川興業に所属していたお笑い芸人「ピグモン勝田」が店頭特設ステージで行われていたパフォーマンス公演中に木から転落し後頭部を強打し、後に死亡する事故が発生した。享年29歳[8]。
- 2010年6月16日-新座サティ時代末期、入居していた歯医者「にいざデンタルクリニック」で女児(当時2歳)の虫歯治療中に脱脂綿が口腔内から脱落し気管を詰まらせる事故が発生した。女児は後に死亡が確認された[9]。
ギャラリー[編集]
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四階レストラン街の様子。1979年撮影
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オープン当日の垂れ幕。1979年撮影
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裏口
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イオンロゴと大規模小売店舗表示板
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側面非常階段
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裏側非常階段
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搬入口
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現在の地下入り口の様子
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現在の四階の様子
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定礎看板
出典[編集]
- ^ “大規模小売店舗面積上位一覧(店舗面積10,000㎡以上) (130店舗)” (PDF). 埼玉県. 2023年11月23日閲覧。
- ^ “イオン新座店”. www.aeon.com. 2024年3月17日閲覧。
- ^ 1964年 株式会社尾張屋 広報資料4月版 No.68 よりp.5を抜粋
- ^ 1979年11月17日配布宣伝チラシより
- ^ 1999年渋井丸裕哉著「新座史 私の名も無き記憶」より104p17行目を抜粋
- ^ 1988年3月3日配布フレッシュニチイ~今度のニチイは面白い~生活美人'88より裏面を抜粋
- ^ 2009年株式会社マイカル 「新座サティにおけるマイカルタウン化計画計画書及び展開予定書」
- ^ ピグモン勝田死亡事故-seesaaBLOG
- ^ 女児死亡事故和解成立-産経新聞