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英領アメリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリス領アメリカから転送)
イギリス領アメリカおよびイギリス領西インド諸島
British America and the British West Indies (英語)
ヌーベルフランス
ニューネーデルラント
ニュースウェーデン
スペイン領フロリダ
1607年 - 1783年 英領北アメリカ
英領西インド諸島
アメリカ合衆国
スペイン領フロリダ
イギリス領アメリカの国旗 イギリス領アメリカの国章
(英領アメリカの国旗(1707年以降)) 国章
イギリス領アメリカの位置
英領アメリカの最大領域
英領北アメリカ(赤)とそれ以外のイギリス属領(ピンク)を含む
公用語 英語フランス語スペイン語オランダ語アメリカ先住民諸語
宗教 イングランド国教会プロテスタントユダヤ教ローマ・カトリック教会アメリカ先住民の宗教英語版
首都 フィラデルフィア(1776年)
君主
1607年 - 1625年 ジェームズ6世および1世
1760年 - 1783年ジョージ3世
変遷
ロアノーク植民地 1585年
バージニア植民地1607年
プリマス植民地1620年
チャールズ2世によるロードアイランド及びプロビデンス・プランテーション植民地の勅許1663年
ルパート・ランド1670年
ユトレヒト条約1713年
パリ条約1763年
パリ条約1783年
通貨スターリング・ポンドレアル・デ・ア・オチョ英語版植民地貨幣英語版信用証券英語版実物貨幣、ほか多数
現在アンギラの旗 アンギラ
アンティグア・バーブーダの旗 アンティグア・バーブーダ
バハマの旗 バハマ
バルバドスの旗 バルバドス
ベリーズの旗 ベリーズ
バミューダ諸島の旗 バミューダ諸島
イギリス領ヴァージン諸島の旗 イギリス領ヴァージン諸島
カナダの旗 カナダ
ケイマン諸島の旗 ケイマン諸島
ドミニカ国の旗 ドミニカ国
グレナダの旗 グレナダ
ガイアナの旗 ガイアナ
ホンジュラスの旗 ホンジュラス
ジャマイカの旗 ジャマイカ
メキシコの旗 メキシコ
モントセラトの旗 モントセラト
ニカラグアの旗 ニカラグア
セントクリストファー・ネイビスの旗 セントクリストファー・ネイビス
セントビンセント・グレナディーンの旗 セントビンセント・グレナディーン
トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
タークス・カイコス諸島の旗 タークス・カイコス諸島
アメリカ合衆国の旗 アメリカ

イングランド領アメリカ英語: English America)、後にイギリス領アメリカ英語: British America)は、イングランド王国およびその後身のグレートブリテン王国が1607年から1783年まで維持した、バミューダ諸島を含む北アメリカ中央アメリカカリブ海地域ガイアナにおける王領植民地。1776年に大西洋沿岸の13植民地が独立を宣言してアメリカ合衆国を建国するまで、北アメリカにおけるイギリス植民地の正式名称は「英領アメリカおよび英領西インド諸島」(英語: British America and the British West Indies)であった[1]。その後、北アメリカ大陸においてイギリス領に残った植民地はイギリス領北アメリカ英語版[2]と呼ばれた。「イギリス領北アメリカ」という名前は1783年にはじめて非公式で使われたが、1839年のダラム報告英語版まで使われることは稀であった。

イギリス領アメリカは1763年に七年戦争を終わらせたパリ条約で大きく拡張した。1775年のアメリカ独立戦争勃発時点で、イギリス帝国ヌエバ・エスパーニャ(現アメリカ合衆国西部とメキシコ)の北と東に20か所の植民地を所有していた。1783年のパリ条約により西フロリダ東フロリダがスペインに割譲され、続いて1819年のアダムズ=オニス条約でアメリカ合衆国に割譲された。西インド諸島以外でイギリス領に残った北アメリカの植民地はニューファンドランド植民地英語版を除いて1867年から1873年までにカナダ自治領に再編され、ニューファンドランドは自治領に再編されたのち1949年にカナダに加入した。

歴史

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1606年から1670年まで、ジェームズ1世チャールズ1世イングランド共和国チャールズ2世の勅許により、北アメリカの先住民領でいくつかのイギリス植民地が成立した。その最初がバージニア会社によるジェームズタウンの集落であり、会社の投資者は植民地建設への投資で利益を上げようとした。当時、バージニアではすでに約1万4千の先住民が住んでおり、彼らはイギリス人をジェームズタウンからほかの場所へ移住させて、連邦の一員になることを期待していた。そして実際、植民者であったイギリス人とドイツ人の一部はポウハタンに参加した[3]。初期の植民者はインディアンから舞踊、祝宴、たばこによる儀式で歓迎された[4]

1775年時点の北アメリカ植民地一覧

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イギリスは1775年時点で北アメリカに植民地を20か所維持していた[5]

1. アメリカ合衆国の建国時点の13植民地

ニューイングランド植民地群英語版
中部植民地群英語版
南部植民地群英語版(メリーランドとバージニアの2植民地を合わせてチェサピーク植民地群英語版とも)

2. 1763年に獲得したが、後にスペイン(フロリダ)とアメリカ(インディアン居留地とケベック南西部)に割譲した植民地と領土。これらは全て後にアメリカ合衆国に併合された。

3. 後にカナダ領となる英領植民地と領土。

1783年時点の植民地一覧

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下記の植民地は1783年以降もイギリス領に残った。

英領北アメリカ英語版
リーワード諸島植民地英語版
ジャマイカ島と英領ホンジュラス
その他の英領西インド諸島

関連項目

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脚注

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  1. ^ A Summary View of the Rights of British America – Thomas Jefferson” (2000年). 2017年3月16日閲覧。
  2. ^ 現在のカナダの大半を含む。
  3. ^ Horn, James (2006). A Land as God Made It: Jamestown and the Birth of America. New York: Basic Books. pp. 123–124. ISBN 0-465-03094-7. https://books.google.com/books?id=oeslsL5gcf8C&pg=PA123 
  4. ^ George Percy, 1608, "Observations by George Percy"
  5. ^ Canada and the American Revolution”. Museum of the American Revolution. 4 May 2013閲覧。
  6. ^ Rhode Island Royal Charter of 1663”. sos.ri.gov. Secretary of State of Rhode Island. 2011年4月14日閲覧。
  7. ^ Charles II Granted Rhode Island New Charter”. christianity.com. Christianity.com (1663年7月8日). 2011年4月14日閲覧。