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イグナティ・ネステロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イグナティ・ネステロフ
名前
本名 イグナティウス・ミハイロヴィチ・ネステロフ
Ignatius Mikhailovich Nesterov
ラテン文字 Ignatiy NESTEROV
ロシア語 Игнатий Михайлович Нестеров
基本情報
国籍 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
生年月日 (1983-06-20) 1983年6月20日(41歳)
出身地 ウズベク・ソビエト社会主義共和国タシュケント
身長 182cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム ウズベキスタンの旗 PFCキジルクム・ザラフシャン
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
代表歴2
2002-2019 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン 106 (0)
2. 2019年1月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イグナティ・ミハイロヴィチ・ネステロフウズベク語: Ignatiy Mikhailovich Nesterov / Игнатий Михайлович Нестеров, 1983年6月20日 - )は、ウズベキスタンタシュケント出身のサッカー選手。元ウズベキスタン代表PFCロコモティフ・タシュケント所属。ポジションはゴールキーパーロシア系である。

AFCアジアカップの大会最多出場記録保持者(5回)である。

他にも2010 FIFAワールドカップ・最終予選[1]2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選[2]で正GKを務め、AFCアジアカップ2011ではウズベキスタン代表を4位に導いている[3][4]

所属クラブ

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経歴

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2002年、FCパフタコール・タシュケントと契約。チームでは正ゴールキーパーとして活躍。

2009年7月、FCブニョドコルと3年半契約。

2013年12月、PFCロコモティフ・タシュケントと契約。

2019年、オホド・クラブと契約。

2019年1月、AFCアジアカップ2019開催中のドーピング検査で、薬物の陽性反応が出てドーピング違反をしていた事が報じられた。医療スタッフの許可なく減量の為に使用したと認めており、8ヶ月失格の処分を下された[5]

脚注

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獲得タイトル

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クラブ

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FCパフタコール・タシュケント
FCブニョドコル
  • ウズベク・リーグ 優勝 (3):2009, 2010, 2011
  • ウズベキスタン・カップ 優勝 (2):2010, 2012
PFCロコモティフ・タシュケント
  • ウズベク・リーグ 優勝 (3):2016, 2017, 2018
  • ウズベキスタン・カップ 優勝 (2):2014, 2016

脚注

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  1. ^ 代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 日本サッカー協会”. samuraiblue.jp. 2024年4月29日閲覧。
  2. ^ Strack-Zimmermann, Benjamin. “Uzbekistan vs. Qatar” (英語). www.national-football-teams.com. 2024年4月29日閲覧。
  3. ^ 朴智星不在も韓国3位死守/アジア杯 - アジア杯2011”. nikkansports.com. 2024年4月29日閲覧。
  4. ^ South Korea 3-2 Uzbekistan (Jan 28, 2011) Final Score” (英語). ESPN. 2024年4月29日閲覧。
  5. ^ [1]

外部リンク

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