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イーゴリ・アンドレエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イーゴリ・アンドレエフ
Igor Andreev
イーゴリ・アンドレエフ
基本情報
フルネーム Igor Valerievich
Andreev
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 同・モスクワ
生年月日 (1983-07-14) 1983年7月14日(41歳)
身長 182cm
体重 80kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2002年
引退年 2013年
ツアー通算 4勝
シングルス 3勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 296勝314敗
シングルス 237勝231敗
ダブルス 59勝83敗
生涯獲得賞金 $4,510,376
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2006・08・09)
全仏 ベスト8(2007)
全英 4回戦(2009)
全米 4回戦(2008)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2004・05・10)
全仏 3回戦(2005)
全英 2回戦(2009)
全米 2回戦(2004・05・08)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 18位(2008年11月3日)
ダブルス 59位(2005年7月18日)

イーゴリ・ヴァレリエヴィッチ・アンドレエフIgor Valerievich Andreev, ロシア語: Игорь Валерьевич Андреев, 1983年7月14日 - )は、ロシアモスクワ出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス3勝、ダブルス1勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス18位、ダブルス59位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。赤土のクレーコートを得意にしたベースライン・プレーヤーである。

来歴

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アンドレエフは7歳の時から、モスクワ市内にある「スパルタクラブ」でテニスを始めた。この名門クラブは、かつての女子の名選手だったオルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。15歳の時、練習拠点をスペインバレンシアに移した。2002年にプロ入り。2004年から男子テニス国別対抗戦デビスカップロシア代表選手に選ばれ、同年のアテネ五輪にも出場した。オリンピックでは、シングルスはチリニコラス・マスーとの3回戦まで勝ち進んだが、ニコライ・ダビデンコと組んだダブルスは2回戦でイスラエルジョナサン・エルリック/アンディ・ラム組に敗れた。オリンピックの後、アンドレエフとダビデンコはクレムリン・カップダブルスで、マヘシュ・ブパシ/ヨナス・ビョルクマン組を3-6, 6-3, 6-4で破って優勝した。

イーゴリ・アンドレエフは2005年4月、バレンシア・オープン決勝でダビド・フェレールを破り、男子ツアーのシングルスで初優勝を飾った。この年は男子ツアーでシングルス年間3勝を挙げ、2006年4月3日付で世界ランキングの自己最高位24位をマークした。しかし、2006年4月28日にアンドレエフは左膝軟骨損傷修復のための手術を受け、半年間の戦線離脱を余儀なくされた。その間に世界ランキングも降下し、2007年全仏オープンを迎えた時は125位まで落ちていた。この大会で、アンドレエフは4大大会男子シングルスで初めての好成績を出した。1回戦で第3シードのアンディ・ロディックを3-6, 6-4, 6-3, 6-4で破って波に乗り、4回戦でマルコス・バグダティスを破った。初めての準々決勝では、第6シードのノバク・ジョコビッチに3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗れた。(この大会では、アメリカの男子選手9名がすべて1回戦敗退に終わったが、これはテニス4大大会史上40年ぶりの珍事と言われた。)

2008年全米オープンでは全米で初めて4回戦に進出。第2シードのロジャー・フェデラーとは最終第5セットまで戦ったが、結局7-6, 6-7, 3-6, 6-3, 3-6で敗れた。2009年ウィンブルドン選手権で初の4回戦進出があり、トミー・ハースに6-7, 4-6, 4-6のストレートで敗れた。

アンドレエフは2013年ウィンブルドン選手権男子シングルス1回戦でルカシュ・クボットに敗れた試合を最後に現役を引退した。

ATPツアー決勝進出結果

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シングルス: 9回 (3勝6敗)

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大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (3–6)
サーフェス別タイトル
ハード (0–1)
クレー (2-5)
芝 (0-0)
カーペット (1-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準湯勝 1. 2004年7月12日 スイスの旗 グシュタード クレー スイスの旗 ロジャー・フェデラー 2–6, 3–6, 7–5, 3–6
準優勝 2. 2004年9月19日 ルーマニアの旗 ブカレスト クレー アルゼンチンの旗 ホセ・アカスソ 3–6, 0–6
優勝 1. 2005年4月4日 スペインの旗 バレンシア クレー スペインの旗 ダビド・フェレール 6–3, 5–7, 6–3
優勝 2. 2005年9月26日 イタリアの旗 パレルモ クレー イタリアの旗 フィリッポ・ボランドリ 0–6, 6–1, 6–3
準優勝 3. 2005年9月18日 ルーマニアの旗 ブカレスト クレー フランスの旗 フローラン・セラ 4–6, 3–6
優勝 3. 2005年10月10日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ドイツの旗 ニコラス・キーファー 5–7, 7–6, 6–2
準優勝 4. 2006年1月16日 オーストラリアの旗 シドニー ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 2–6, 6–3, 6–7(3)
準優勝 5. 2008年7月13日 スイスの旗 グシュタード クレー ルーマニアの旗 ビクトル・ハネスク 3–6, 4–6
準優勝 6. 2008年7月20日 クロアチアの旗 ウマグ クレー スペインの旗 フェルナンド・ベルダスコ 6–3, 4–6, 6–7(4)

ダブルス: 2回 (1勝1敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2004年10月18日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 ニコライ・ダビデンコ インドの旗 マヘシュ・ブパシ
スウェーデンの旗 ヨナス・ビョルクマン
3–6, 6–3, 6–4
準優勝 1. 2005年10月17日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 ニコライ・ダビデンコ ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ
ロシアの旗 ミハイル・ユージニー
1–6, 1–6

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 通算成績
全豪オープン A 1R 2R 3R 1R 3R 3R 1R 2R LQ A 8–8
全仏オープン LQ 4R 3R A QF 2R 3R A 2R 1R LQ 13–7
ウィンブルドン A 2R 3R A 1R 2R 4R 1R 2R 2R 1R 9–9
全米オープン A 1R 2R A 2R 4R 1R 2R 2R 1R A 7–8

外部リンク

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