ミハイル・ユージニー
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ミハイル・ユージニー | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Mikhail Mikhailovich Youzhny | |||
国籍 | ロシア | |||
出身地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ | |||
生年月日 | 1982年6月25日(42歳) | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 73kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1999年 | |||
引退年 | 2018年 | |||
ツアー通算 | 19勝 | |||
シングルス | 10勝 | |||
ダブルス | 9勝 | |||
生涯通算成績 | 653勝609敗 | |||
シングルス | 499勝416敗 | |||
ダブルス | 154勝193敗 | |||
生涯獲得賞金 | $14,264,450 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(2008) | |||
全仏 | ベスト8(2010) | |||
全英 | ベスト8(2012) | |||
全米 | ベスト4(2006・10) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(2014) | |||
全仏 | 3回戦(2006) | |||
全英 | 1回戦(2004・06) | |||
全米 | ベスト8(2006) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 8位(2008年1月28日) | |||
ダブルス | 38位(2011年4月11日) | |||
ミハイル・ミハイロヴィチ・ユージニー(英語: Mikhail Youzhny, ロシア語: Михаил Михайлович Южный, 1982年6月25日 - )は、ロシア・モスクワ出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス38位。これまでにATPツアーでシングルス10勝、ダブルス9勝を挙げる。身長183cm、体重73kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。日本語メディアではユーズニーの表記も見られる。
デビスカップ2002でロシア代表チームを初優勝に導いた実績を持ち、2006年全米オープン男子シングルスと2010年全米オープン男子シングルスで準決勝に進出。
選手経歴
[編集]6歳からテニスを始める。13歳の時、デビスカップ1995決勝戦のアメリカ対ロシア戦が地元モスクワで開催され、ユージニーはボールボーイの仕事を務めた後、アメリカ代表選手たちと記念撮影をしたことがある。1999年全豪オープン男子ジュニア部門で準優勝し、同年にプロ入り。2000年からデビスカップロシア代表選手に選ばれ、7年連続出場を果たした。代表選手になって3年目の2002年、当時20歳のユージニーはフランスとの決勝戦で、最終第5試合のシングルスに起用された。第1試合をロシアのマラト・サフィンが取ったが、第2試合をエフゲニー・カフェルニコフが落とし、第3試合のダブルスをカフェルニコフ/サフィン組が落としたため、フランスはデビスカップ優勝まであと1勝に迫っていた。第4試合をサフィンが取って2勝2敗に追いつき、優勝の行方は最終第5試合までもつれた。ここに起用されたのが、ロシアのユージニーとフランスのポール=アンリ・マチューであった。まだ若い20歳同士の試合は、先にマチューが6-3, 6-2と2セットを先取したが、第3セットからユージニーが挽回し、続く3セットを6-3, 7-5, 6-4で取って逆転勝利を収め、ロシアにデ杯初優勝をもたらした。この優勝を知って、ロシアのエリツィン大統領も大喜びしたという。
ユージニーは2001年全豪オープンで4大大会にデビューし、2001年・2002年・2005年と3度ウィンブルドン選手権の4回戦に進出した。2003年は全豪オープンで4回戦進出がある。2006年度の前半はツアーで早期敗退が多く、やや精彩を欠いていたが、全米オープンでノーシードから準決勝進出を果たした。4回戦で第6シードのトミー・ロブレド、準々決勝で第2シードのラファエル・ナダルを破ったユージニーは、2人続けてスペイン勢を連破して勝ち進んだ。とりわけ、ナダルを6-3, 5-7, 7-6, 6-1で破った勝利は大きなインパクトを与えたが、準決勝では地元アメリカのアンディ・ロディックに7-6, 0-6, 6-7, 3-6で敗れた。その3ヶ月後、2006年12月1日-3日にかけてデビスカップ2006決勝がモスクワのオリンピック・スタジアムで行われ、ロシアはアルゼンチンを3勝2敗で破って4年ぶり2度目のデ杯優勝を決めた。ユージニーも代表選手に選ばれたが、アルゼンチンとの決勝戦では彼の出番はなかった。
2010年全米オープンでは4年ぶりにベスト4に進出したが、準決勝で世界ランク1位のナダルに2-6, 3-6, 4-6で敗退した。
2012年のPBZザグレブ・インドアではシングルス・ダブルスとも優勝し自己初の同一大会2冠を果たした。ウィンブルドン選手権では初めてとなるベスト8に進出した。準々決勝ではロジャー・フェデラーに1-6, 2-6, 2-6で完敗した。
2013年1月1日、通算400勝達成。ロシア人男子ではエフゲニー・カフェルニコフ、ニコライ・ダビデンコ、マラト・サフィンに次ぐ4人目の記録。[1]
2018年9月のサンクトペテルブルク・オープンを最後に現役を引退した[2]。
オリンピック
[編集]ユージニーはオリンピックロシア代表として、2004年アテネ五輪と2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪の3大会に出場している。アテネ五輪では男子シングルスのベスト8に入り、準々決勝でアメリカのマーディ・フィッシュに敗れた。
プレースタイル
[編集]パワフルなグラウンドストローカー。多彩なバックハンドスライスが持ち味で、片手バックハンドトップスピンショットを武器とする。[3]
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 21回 (10勝11敗)
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2002年7月15日 | シュトゥットガルト | クレー | ギリェルモ・カナス | 6-3, 3-6, 3-6, 6-4, 6-4 |
準優勝 | 1. | 2002年10月28日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | セバスチャン・グロジャン | 5-7, 4-6 |
準優勝 | 2. | 2004年9月20日 | 北京 | ハード | マラト・サフィン | 6-7(4-7), 5-7 |
優勝 | 2. | 2004年10月25日 | サンクトペテルブルク | カーペット (室内) | カロル・ベック | 6-2, 6-2 |
優勝 | 3. | 2007年2月19日 | ロッテルダム | ハード (室内) | イワン・リュビチッチ | 6-2, 6-4 |
準優勝 | 3. | 2007年3月3日 | ドバイ | ハード | ロジャー・フェデラー | 4-6, 3-6 |
準優勝 | 4. | 2007年5月6日 | ミュンヘン | クレー | フィリップ・コールシュライバー | 6-2, 3-6, 4-6 |
優勝 | 4. | 2008年1月6日 | チェンナイ | ハード | ラファエル・ナダル | 6-0, 6-1 |
準優勝 | 5. | 2009年5月10日 | ミュンヘン | クレー | トマーシュ・ベルディハ | 4-6, 6-4, 6-7(5-7) |
準優勝 | 6. | 2009年10月11日 | 東京 | ハード | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | 6-3, 6-3 |
優勝 | 5. | 2009年10月25日 | モスクワ | ハード (室内) | ヤンコ・ティプサレビッチ | 6-7(5-7), 6-0, 6-4 |
準優勝 | 7. | 2009年11月8日 | バレンシア | ハード (室内) | アンディ・マリー | 3-6, 2-6 |
準優勝 | 8. | 2010年2月14日 | ロッテルダム | ハード (室内) | ロビン・セーデリング | 4-6, 0-2, 途中棄権 |
準優勝 | 9. | 2010年2月28日 | ドバイ | ハード | ノバク・ジョコビッチ | 5-7, 7-5, 3-6 |
優勝 | 6. | 2010年5月9日 | ミュンヘン | クレー | マリン・チリッチ | 6-3, 4-6, 6-4 |
優勝 | 7. | 2010年10月3日 | クアラルンプール | ハード (室内) | アンドレイ・ゴルベフ | 6-7(2-7), 6-2, 7-6(7-3) |
準優勝 | 10. | 2010年10月31日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | ミハイル・ククシュキン | 3-6, 6-7(2-7) |
優勝 | 8. | 2012年2月5日 | ザグレブ | ハード (室内) | ルカシュ・ラツコ | 6-2, 6-3 |
準優勝 | 11. | 2013年6月16日 | ハレ | 芝 | ロジャー・フェデラー | 7-6(7-5), 3-6, 4-6 |
優勝 | 9. | 2013年7月28日 | グシュタード | クレー | ロビン・ハーセ | 6-3, 6-4 |
優勝 | 10. | 2013年10月27日 | バレンシア | ハード (室内) | ダビド・フェレール | 6-3, 7-5 |
ダブルス: 12回 (9勝3敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2005年1月9日 | ドーハ | ハード | アンドレイ・パベル | アルベルト・コスタ ラファエル・ナダル |
3-6, 6-4, 3-6 |
準優勝 | 2. | 2005年9月18日 | 北京 | ハード | ドミトリー・トゥルスノフ | ジャスティン・ギメルストブ ネイサン・ヒーリー |
6-4, 3-6, 2-6 |
優勝 | 1. | 2005年10月17日 | モスクワ | カーペット (室内) | マックス・ミルヌイ | イーゴリ・アンドレエフ ニコライ・ダビデンコ |
5-1, 5-1 |
優勝 | 2. | 2007年1月7日 | ドーハ | ハード | ネナド・ジモニッチ | マルティン・ダム リーンダー・パエス |
6-1, 7-6(7-3) |
優勝 | 3. | 2007年5月6日 | ミュンヘン | クレー | フィリップ・コールシュライバー | ヤン・ハジェク ヤロスラフ・レビンスキー |
6-1, 6-4 |
準優勝 | 3. | 2008年2月24日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
フィリップ・コールシュライバー | トマーシュ・ベルディハ ドミトリー・トゥルスノフ |
5-7, 6-3, [7-10] |
優勝 | 4. | 2008年6月15日 | ハレ | 芝 | ミーシャ・ズベレフ | ルーカス・ドロウヒー リーンダー・パエス |
3-6, 6-4, [10-3] |
優勝 | 5. | 2008年10月5日 | 東京 | ハード | ミーシャ・ズベレフ | ルーカス・ドロウヒー リーンダー・パエス |
6-3, 6-4 |
優勝 | 6. | 2009年6月14日 | ロンドン | 芝 | ウェスリー・ムーディ | マルセロ・メロ アンドレ・サ |
6-4, 4-6, [10-6] |
優勝 | 7. | 2010年6月13日 | ハレ | 芝 | セルジー・スタホフスキー | マルティン・ダム フィリップ・ポラーシェク |
4-6, 7-5, [10-7] |
優勝 | 8. | 2011年2月26日 | ドバイ | ハード | セルジー・スタホフスキー | フェリシアーノ・ロペス ジェレミー・シャルディー |
4-6, 6-3, [10-3] |
優勝 | 9. | 2012年2月5日 | ザグレブ | ハード (室内) |
マルコス・バグダティス | イワン・ドディグ マテ・パビッチ |
6-2, 6-2 |
成績
[編集]4大大会シングルス
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 3R | 3R | 4R | 1R | 2R | 1R | 3R | QF | 1R | 3R | 3R | 1R | 2R | 2R | 1R | A | 1R | 1R | 20–15 |
全仏オープン | LQ | 1R | 1R | 2R | 3R | 2R | 2R | 4R | 3R | 2R | QF | 3R | 3R | 4R | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | 23–18 |
ウィンブルドン | A | 4R | 4R | 2R | 1R | 4R | 3R | 4R | 4R | 1R | 2R | 4R | QF | 4R | 2R | 1R | 2R | 2R | 1R | 32–18 |
全米オープン | A | 3R | A | 1R | 3R | 3R | SF | 2R | A | 2R | SF | 1R | 1R | QF | 1R | 2R | 3R | 2R | 1R | 26–16 |
※: 2010年全豪の不戦敗は通算成績に含まない
大会最高成績
[編集]大会 | 成績 | 年 |
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ATPファイナルズ | Alt | 2010 |
インディアンウェルズ | 4R | 2004 |
マイアミ | QF | 2010 |
モンテカルロ | 3R | 2001 |
マドリード | 3R | 2002, 2013 |
ローマ | 3R | 2007, 2014 |
カナダ | 3R | 2007, 2009, 2015 |
シンシナティ | QF | 2005 |
上海 | QF | 2014 |
パリ | QF | 2004, 2007 |
ハンブルク | QF | 2004 |
オリンピック | QF | 2004 |
デビスカップ | W | 2002, 2006 |
脚注
[編集]- ^ http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2013/01/1/Doha-2013-Tuesday-Youzhny-Records-400th-Win.aspx
- ^ “元8位ユーズニー 現役引退へ”. tennis365.net (2018年9月21日). 2018年9月24日閲覧。
- ^ Cooper, Jeff. “Photo Tour of Male Pro One-Handed Topspin Backhand Grips: Mikhail Youzhny's One-Handed Topspin Backhand Grip”. About.com. 30 June 2013閲覧。
外部リンク
[編集]- ミハイル・ユージニー - ATPツアーのプロフィール
- ミハイル・ユージニー - デビスカップのプロフィール
- ミハイル・ユージニー - 国際テニス連盟
- ウィキメディア・コモンズには、ミハイル・ユージニーに関するカテゴリがあります。