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イジドア・ラックストーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イジドア・ラックストーン
Isidore Luckstone
生誕 (1861-01-29) 1861年1月29日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモア
死没 (1941-03-12) 1941年3月12日(80歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト、声楽教師
担当楽器 ピアノ

イジドア・ラックストーン(Isidore Luckstone, 1861年1月29日 - 1941年3月12日)は、アメリカ合衆国ピアニスト、声楽教師[1]

経歴

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メリーランド州ボルチモアに生まれる。姉にピアノを、数人の教師のもとで声楽を学んだ。1883年にヴァイオリニストのカミラ・ウルソ英語版の伴奏者となる。1884年から1891年にかけてヴァイオリニストのエドゥアルト・レメーニの世界中を巡る演奏旅行に伴奏者として同行した[2]1886年(明治19年)の夏にはレメーニ、ソプラノ歌手ルイーザ・マルケッティ (Luisa Marchetti) とともに日本を訪れ、神戸外国人居留地神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部体育館(居留地劇場)、横浜外国人居留地のパブリックホール、東京鹿鳴館で公演を行った[3]1893年ドイツベルリンフィリップ・シャルヴェンカ英語版にピアノを師事した。アマーリエ・マテルナ英語版フランティシェク・オンドジーチェクリリアン・ノルディカ英語版といった歌手、演奏家の演奏旅行に同行したのち、1897年ニューヨークに移住して声楽教師、伴奏者として活動した。マルツェラ・ゼンブリヒ英語版フリッツ・クライスラーネリー・メルバらのニューヨーク公演では伴奏者となり、1925年から1939年までニューヨーク大学教育学部 (School of Education) で教育学の教授を務めた[4]。教え子にランバート・マーフィー英語版がいる[5]

脚注

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参考文献

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  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, ed (1919). Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd ed.). New York: G. Schirmer 
  • Slonimsky, Nicolas, ed (1940). “Luckstone, Isidore”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th ed.). New York: G. Schirmer. p. 684. https://archive.org/details/biographicaldict00bake/page/684/mode/1up?view=theater 
  • Slonimsky, Nicolas, ed (1958). “Luckstone, Isidore”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th ed.). New York: G. Schirmer. p. 988. https://archive.org/details/bakersbiographic1958bake/page/988/mode/1up?view=theater 
  • 萩谷由喜子「第6章 間奏曲」『ウィーンに六段の調 : 戸田極子とブラームス』中央公論新社、2021年、111-121頁。ISBN 978-4-12-005446-4 

外部リンク

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