イティエ (ルテル伯)
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イティエ Ithier | |
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ルテル伯 | |
ルテル伯の紋章 | |
在位 | 1158年 - 1171年 |
出生 |
1115年 |
死去 |
1171年 |
配偶者 | ベアトリス・ド・ナミュール |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヴィトリ家 |
父親 | ウード・ド・ヴィトリ |
母親 | ルテル女伯マティルド |
イティエ・ド・ルテル(フランス語:Ithier de Rethel, 1115年 - 1171年)は、ルテル伯(在位:1158年 - 1171年)。ヴィトリ城主。
生涯
[編集]ウード・ド・ヴィトリとルテル女伯マティルドの息子で、エルサレム王ボードゥアン2世の甥にあたる[1]。母よりルテル伯位を継承した。1129年3月、イティエは聖地に向かったが、その年にダマスカス十字軍に参加したかどうかは不明である。
イティエはナミュール伯ジョフロワ1世の娘ベアトリスと結婚した[2]。2人の間には11人の子女が生まれた。
- ベアトリス(1130年 - 1185年3月30日)[1] - シチリア王ルッジェーロ2世と結婚[3]
- ジャン(1144年以降没)
- マナセ(1144年以降没)
- ユーグ(1166年以降没) - ランスのサン=レミ修道院の修道士
- マナセ4世(1199年没)[1] - ルテル伯
- アンリ(1191年没) - ヴィトリ城主
- ボードゥアン(1198年かそれ以降没) - シメリー領主
- アルベール(1195年かそれ以降没) - リエージュの助祭長
- シモン
- クレマンス(1190年以降没) - リエージュ司教ユーグ・ド・ピエルポンと結婚
- 娘 - シャロンのヴィダムジョフロワと結婚
イティエの死後、ルテル伯位は息子マナセ4世が継承した。
脚注
[編集]- ^ a b c Housley 2007, p. 33.
- ^ Murray 2000, p. 125.
- ^ Houben 2002, p. 96.
参考文献
[編集]- Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: Ruler between East and West. Cambridge University Press
- Housley, Norman, ed (2007). Knighthoods of Christ: Essays on the History of the Crusades and the Knights. Ashgate Publishing Limited
- Murray, Alan V. (2000). The Crusader Kingdom of Jerusalem: A Dynastic History 1099-1125. Prosographica et Genealogica
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