イリーニ・メルクリ
イリーニ・メルクリ (Ειρήνη Μερκούρη) | |
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出生名 | イリーニ・メルクリ |
生誕 |
ギリシャ・アテネ 1981年5月26日(43歳) |
出身地 | ギリシャ |
職業 | 歌手 |
レーベル |
Sony BMG(2002年 - 2009年) E.DI.EL. (2009年 - ) |
公式サイト | 公式サイト |
イリーニ・メルクリ(ギリシア語: Ειρήνη Μερκούρη / Irini Merkouri, 1981年5月26日 - )は、アテネ出身のギリシャの歌手である。
来歴
[編集]出自
[編集]アテネのイリオにて、ギリシャ人の父とロマの母の間に生まれ育った。幼い頃より歌手になることを目指し、7歳の頃にはテレビで見た歌手たちの真似をこなした[1]。
2001年 - 2003年: デビュー・アルバムとMeine Mazi Mou Apopse
[編集]ソニーBMG・ギリシャと契約を結び、2001年11月に初のアルバム『Να φυσάει η άνοιξη』(Na Fysai I Anixi)を発売した。収録曲には、アントニス・レモス(Antonis Remos)とのデュエット曲「Dio Mas」や、フランスの楽曲「Si Tu Ouvres Tes Bras」のギリシャ語カバー「Iparhi Kai Theos」などがある。アルバムには全部で12曲が収められ、「Syntelia」や「Foties Anapste」がヒット曲となった[1]。
2003年6月、2枚目のアルバム『Mείνε μαζί μου απόψε』(Mine Mazi Mou Apopse)が発売された。アルバムには12曲が収められ、「Syntelia」のリミックスは3箇月連続のエアプレイ・チャート首位となった[2]。このほかに「Ematha Na Zo Horis Esena」や「Meine Mazi Mou Apopse」などのヒット曲が収録されている。
2004年: Sarbelとの共演、Palirroia
[編集]2004年、サルベル(Sarbel)の楽曲「Se Pira Sovara」に客演した。同曲を収めたシングルCDにはもう1曲、「Agapi Mou Esi」という2人のデュエット曲も収録されている[1]。
2004年6月、15曲を収録した3枚目のスタジオ・アルバム「Παλίρροια」(Palirroia)が発売された。収録曲からラジオで最初にヒットしたのは「Ela」であり、モダン・ライカにレゲエの要素を織り交ぜた作品であった。2つめのヒット・シングルは「Pou Na Fantasto」で、このアルバム収録曲で初のビデオ・クリップが製作され、ギリシャじゅうのクラブでヒットとなった。3つめのシングル「Krata Me Ksana」は、C:リアル(C:Real)のタキス・ダマシス(Takis Damashis)の製作であり、この曲でメルクリはアリオン賞の最優秀ポップ歌手に選ばれた[2]。
2005年 - 2009年: Aneta、Argises、"Nai"
[編集]2005年7月7日、4枚目のアルバム『'Ανετα』(Aneta)が発売された。アルバムにはこれまでのヒット曲に加えて7つの新曲が収められている[2]。
2006年には5枚目のアルバム『Άργησες 』(Argises)が発売された。アルバムには13曲が収められ、「Pame Gi'Alla」や「Miso Lepto」などがヒット曲となり、後者はビデオ・クリップも製作された。「Argises」という楽曲ではフリストス・パジズ(Christos Pazis)と共演した[2]。
2007年にリリースされたシングルCD「Ναι」(Nai)には、「Nai」と「Kane Ena Tsigaro」の2曲が収められている。「Nai」はビデオ・クリップも製作され、シングルはギリシャのIFPIチャートで2位となった[3]。
その後ソニーBMGで次のアルバムを収録したものの、ソニーBMGとの間に問題が起き、レコード会社側との激しい対立に発展した。このアルバムの発売は未定となっている。メルクリは2009年に新しくE.DI.EL.と契約し、新曲「Parakseno Agori」をデジタル・リリースした。
アルバム
[編集]- 2002年: Να φυσάει η άνοιξη(Na Fysai I Anixi)
- 2003年: Mείνε μαζί μου απόψε(Mine Mazi Mou Apopse)
- 2004年: Παλίρροια(Palirroia)
- 2005年: 'Ανετα(Aneta)
- 2006年: Άργησες(Argises)