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ユルドゥライ・バシュテュルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユルドゥライ・バシュテュルク
名前
ラテン文字 Yıldıray Baştürk
基本情報
国籍 トルコの旗 トルコ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1978-12-24) 1978年12月24日(45歳)
出身地 西ドイツの旗 ヘルネ
身長 168cm
体重 65kg
選手情報
ポジション OH
利き足 右足
ユース
1986-1987 西ドイツの旗 DSCヴェーネ=アイケル
1987-1996 ドイツの旗 ヴァッテンシャイト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 ドイツの旗 ヴァッテンシャイト
1997-2001 ドイツの旗 ボーフム 104 (13)
2001-2004 ドイツの旗 レバークーゼン 73 (8)
2004-2007 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン 71 (14)
2007-2010 ドイツの旗 シュトゥットガルト 31 (4)
2010 イングランドの旗 ブラックバーン・ローヴァーズ 1 (0)
1996-2010 合計 280 (39)
代表歴2
1998-2008[1] トルコの旗 トルコ 49 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2010年1月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ユルドゥライ・バシュテュルク Yıldıray Baştürk, トルコ語発音: [jɯɫˈdɯˈɾaj baʃˈtyrk], 1978年12月24日 - )は、西ドイツ (現ドイツ)・ヘルネ出身の元サッカー選手、元トルコ代表。現役時代のポジションは攻撃的MFイルディレイ・バストゥルクとも表記される[2]

ドイツに生まれ育つも、トルコ代表として49試合に出場する中で2002 FIFAワールドカップでは主力として3位入賞に貢献し、また、同年にバイエル・レバークーゼンUEFAチャンピオンズリーグ 2001-02決勝戦を戦った。

顔面が元日本代表MF森島寛晃と瓜二つである。

経歴

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クラブ

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1960年代にトルコから西ドイツへ渡ったトルコ人移民の鉱山労働者の家庭に生まれた[3][4]バシュテュルクは、DSCヴェーネ=アイケルSGヴァッテンシャイトでのプレーがブンデスリーガ (1部) のVfLボーフムを率いるクラウス・トップメラー監督の目に留まり、引き抜かれる。1998-99シーズンにボーフムは2. ブンデスリーガへ降格し、トップメラー監督が去ることになったが、自身は留まり30試合7得点で昇格に貢献し、チームを支えるプレーでファンの人気を集めた[5]。しかし、昇格1季目2000-01シーズンに再降格すると、恩師トップメラー監督に誘われ、2001年7月12日に移籍金290万ユーロバイエル・レバークーゼンと4年契約を締結した[6]

レバークーゼンでの1季目は、執拗なドリブルを武器[5]ミヒャエル・バラックと共に攻撃の軸として3冠目前にまで躍進するチームに大きく寄与し、UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02においてはUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦に初となるトルコ人選手としてレアル・マドリード戦に臨み[7]4-1-4-1システムの攻撃MFの位置で先発を務めた[8]が、最終的に1-2で試合を落とすと、リーグ戦では勝ち点差僅か1でボルシア・ドルトムントの後塵を拝し、DFBポカールではシャルケ04との決勝戦に敗れて失意の無冠に終わった。同年の代表での活躍も相まって多くのクラブから関心を寄せられつつ、翌2002-03シーズンもレバークーゼンに残留することになったが、UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03で2次リーグに進出する一方でリーグ戦では低迷し、降格寸前の15位でシーズンを終了した。2003-04シーズンは、リーグ戦で3位と再び躍進するチームとは違い、自身は開幕前にB型肝炎を患ったことで6週間出遅れており[9]バイエルン・ミュンヘン戦において復帰及びシーズン初得点こそ挙げた[10]ものの、離脱中に頭角を現したロブソン・ポンテの存在や後半戦に定期的な脹脛の負傷[11]により、出場機会を確保するのに苦戦していた。

セルティックFCフェネルバフチェSKといった国外のクラブのみならず、昨季のリーグ王者ヴェルダー・ブレーメンからのオファーがありながらも、2004年6月9日に自由契約でヘルタ・ベルリンと3年契約を締結する[12]司令塔マルセリーニョの負担軽減を期待されたバシュテュルクは、2004-05シーズン前のオーストリア合宿中において、同僚ミヒャエル・ハルトマン (en) のタックルにより、脹脛を負傷したことで1ヶ月以上の出遅れとなった[13]ものの、最終的にマルセリーニョやサイドを務めるジウベルトトールベン・マルクス (en) と共に中盤で攻撃を牽引[14][15]して4位躍進の原動力となり、6位となった翌2005-06シーズンはチームの最優秀選手に選出された[16]2006-07シーズンは、昨季終了後に退団したマルセリーニョの抜けた穴を埋める為に攻撃の軸として更なる奮起が求められていた[17]が、序盤早々に膝の靭帯損傷となる[18]と、その後も定期的な負傷によって離脱する苦しいものとなっており[19]、また、チームとしても10位で終了する不満の残るシーズンだった。

2007年5月29日、昨季のリーグ王者VfBシュトゥットガルトと3年契約で合意する[20]加入1季目こそ一定の出場機会を得ていたが、以降のシーズンは負傷に悩まされ[21][22]、2010年1月27日にプレミアリーグ (イングランド1部) のブラックバーン・ローヴァーズFC2009-10シーズン終了までの契約で合意する[23]も、負傷が影響が長引いたために出遅れていた[24]。4月24日のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦で待望の初出場を飾った[25]ものの、サム・アラダイス監督に好印象を与えることが出来なかった[26]為に前半終了後に交代させられており、同試合の45分の出場のみに終わった[27]

2010-11シーズンを無所属で過ごした後、若手を指導する為に指導者への転身を考え、2011年5月29日に「12月に33歳になるが、プロ生活から別れを告げる時だと思う」と現役引退の意向を明かした[3]

代表

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ドイツに生まれながらも、トルコ人の家庭で育ったバシュテュルクは、1998年1月のアルバニアとの親善試合でトルコ代表として初出場を飾る[5]UEFA EURO 2000では、メンバー入りを果たせなかったものの、シェノル・ギュネシュ監督就任以降は定位置を掴み[5]オーストリアとの2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ第2戦では、足の負傷によって40分の短い出場時間の中で先制点を挙げると、ハカン・シュキュルの追加点をアシストして1954 FIFAワールドカップ以来の出場に貢献する[28]。さらに、2002 FIFAワールドカップにおいてもハサン・シャシュの先制点をアシストする[29]等で代表史上最高となる3位入賞にも貢献して注目を集めた[30]

FIFAコンフェデレーションズカップ2003でプレーし、UEFA EURO 20042006 FIFAワールドカップはそれぞれ予選で敗退した後、UEFA EURO 2008で久しぶりに国際大会の出場権を得る。暫定26人に名を連ねるも、最終的な23人のメンバーから落選すると、「ファティ・テリム監督の下ではプレーしたくない」と代表から去った[31]

個人成績

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クラブでの成績

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出典:[32]

所属クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ CL+予選 EL+予選 UI 合計
所属リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ボーフム 1997-98 ブンデスリーガ 17 1 - - - 1+0 0+0 - 18 1
1998-99 28 1 3 0 - - - - 31 1
1999-2000 2. ブンデスリーガ 30 7 4 4 - - - - 34 11
2000-01 ブンデスリーガ 29 4 3 3 1 0 - - - 33 7
合計 104 13 10 7 1 0 - 1+0 0+0 - 116 20
レバークーゼン 2001-02 ブンデスリーガ 30 3 5 0 - 17+2 1+0 - - 54 4
2002-03 26 3 4 0 - 11+0 0+0 - - 41 3
2003-04 17 2 1 0 - - - - 18 2
合計 73 8 10 0 - 28+2 1+0 - - 113 9
ヘルタ・ベルリン 2004-05 ブンデスリーガ 25 7 - - - - - 25 7
2005-06 27 6 2 0 1 0 - 7+0 0+0 - 37 6
2006-07 19 1 2 2 - - 1+2 0+0 2 1 26 4
合計 71 14 4 2 1 0 - 8+2 0+0 2 1 88 17
シュトゥットガルト 2007-08 ブンデスリーガ 26 4 3 0 - 4+0 0+0 - - 33 4
2008-09 4 0 1 0 - - 0+2 0+0 2 0 9 0
2009-10 1 0 - - - - - 1 0
合計 31 4 4 0 - 4+0 0+0 0+2 0+0 2 0 43 4
ブラックバーン・ローヴァーズ 2009-10 プレミアリーグ 1 0 - - - - - 1 0
合計 1 0 - - - - - 1 0
キャリア通算成績 280 39 28 9 2 0 32+2 1+0 9+4 0+0 4 1 361 50

代表での成績

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出典:[1]

トルコ代表
出場 得点
1998 1 0
1999 0 0
2000 0 0
2001 9 1
2002 14 0
2003 7 0
2004 4 1
2005 7 0
2006 3 0
2007 2 0
2008 2 0
Total 49 2

代表での得点

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# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1. 2001年11月14日 トルコの旗 イスタンブール オーストリアの旗 オーストリア 1-0 5-0 2002 FIFAワールドカップ予選
2. 2004年4月28日 ベルギーの旗 ブリュッセル ベルギーの旗 ベルギー 1-1 3-2 親善試合

脚注

[編集]
  1. ^ a b “Yildiray Basturk - International Appearances” (英語). Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/bastuerk-intl.html 
  2. ^ "イルディレイ、頂上決戦出場へ"
  3. ^ a b "Baştürk bidding adieu to professional football?"
  4. ^ "Turkey count on Vorsprung durch Technik"
  5. ^ a b c d "Bastürk comes of age"
  6. ^ "Leverkusen land Bastürk"
  7. ^ "Arda fires Atletico to Champions League final"
  8. ^ "Where are they now? Leverkusen's 2002 Champions League finalists, featuring Lucio, Ballack, Berbatov & Ulf Kirsten"
  9. ^ "Bastürk an Hepatitis B erkrankt"
  10. ^ "Comebacker Bastürk beendet schwarze Serie"
  11. ^ "Bastürk muss nicht unters Messer"
  12. ^ "Bastürk heads to Hertha"
  13. ^ "Bastürk blow for Berliners"
  14. ^ "Der Bedienungsfehler" tagesspiegel.de
  15. ^ "Stau in Mitte"
  16. ^ "Alarm bei Hertha"
  17. ^ "Bundesliga: Bastürk ist Herthas neuer Marcelinho"
  18. ^ "Double injury blow for Hertha"
  19. ^ "Bastürk fehlt Hertha erneut"
  20. ^ "Stuttgart signs Baştürk from Hertha"
  21. ^ "Bastürk verletzt sich wieder"
  22. ^ "Stuttgart Midfielder Yildiray Basturk Sustains Thumb Injury"
  23. ^ "Blackburn sign Stuttgart midfielder Yildiray Basturk"
  24. ^ "Blackburn boss Allardyce ready to give Basturk his chance"
  25. ^ "Wolverhampton 1-1 Blackburn" BBCスポーツ
  26. ^ "Blackburn Rovers manager Sam Allardyce unsure on midfielder Yildiray Basturk’s future"
  27. ^ Ex-Blackburn midfielder Basturk announces retirement” (英語). Yahoo!7 Sport (2011年5月29日). 2013年12月31日閲覧。
  28. ^ "Forty minutes of Yildiray Basturk"
  29. ^ "Brazil's win tarnished by Rivaldo histrionics"
  30. ^ "Turkey bows to Bastürk"
  31. ^ "Basturk vows never to play against under Terim"
  32. ^ Yıldıray Baştürk”. weltfussball. 10 December 2014閲覧。

外部リンク

[編集]