イヴァン・アレクサンドロヴィチ (リャザン公)
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イヴァン・アレクサンドロヴィチ Иван Александрович | |
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リャザン大公 プロンスク公 | |
在位 |
リャザン大公:1343年 - ? プロンスク公:1344年 - 1351年 |
子女 | オレグ |
家名 | リューリク家 |
父親 | リャザン公アレクサンドル / プロンスク公アレクサンドル |
イヴァン・アレクサンドロヴィチ(ロシア語: Иван Александрович、生没年不明)は、歴代リャザン大公のうちの一人である。その在位期間は兄弟[1]のヤロスラフ(ru)の死後(1343年)から、同じく兄弟[2]のヴァシリーが公位に就いた年(不詳)までの間であった。また同時に、1344年から1351年にはプロンスク公でもあった。
一説によれば、リャザン公ヤロスラフ(上記のヤロスラフとは別人)の子のアレクサンドルの子であるとされる[1]。また別の説では、プロンスク公ミハイル(ru)の子のアレクサンドルの子であるとされる[2]。
子[1]のオレグ(ru)はリャザン大公(在位:1349年 - 1402年)としてジョチ・ウルスから独立した人物であり、リャザンの市章はオレグをモチーフとしている。