イ・ドゥヨン
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イ・ドゥヨン 이두용 | |
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生年月日 | 1942年12月24日 |
没年月日 | 2024年1月19日(81歳没) |
国籍 | 韓国 |
職業 | 映画監督 |
活動期間 | 1970年[1] - |
イ・ドゥヨン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이두용 |
漢字: | 李斗鏞[2] |
発音: | イ・ドゥヨン |
英語表記: | Lee Doo-yong[3] |
イ・ドゥヨン(李斗鏞、1942年12月24日 - 2024年1月19日)は、韓国の映画監督[3]。
略歴
[編集]1942年、ソウルに生まれ、1960年、ソウルの龍山高等学校を卒業。1963年、『霧立ち込めた西帰浦』で演出部で初めて映画界に入門。1965年、『どの女子大学生の告白』を製作、監督したが完成することができない。1970年、『失われたウエディング・ベール』で監督デビュー。1981年、『被膜』でヴェネツィア国際映画祭でISDAP賞受賞。
2023年から肺癌と闘病していたが、2024年1月19日午前3時ごろにソウル市内の病院で死去。享年82[4]。
主な監督作品
[編集]- 『失われたウエディング・ベール』(1970年): 監督デビュー作
- 『続・兄』(1971年)
- 『罪深い女性』(1971年)
- 『ある夫婦』(1971年)
- 『夜烏鬼』(1971年)
- 『お宅のパパもこうですか』(1971年)
- 『晴天の雷』(1971年)
- 『逮捕令』(1972年)
- 『笑って生きてるパクさん』(1972年)
- 『どこへ行くべきか』(1972年)
- 『惜しみなく捧げん』(1972年)
- 『行かないで』(1972年)
- 『紅衣将軍』(1973年): 第12回大鐘賞最優秀作品賞
- 『屍の橋』(1974年)
- 『小さな鳥』(1974年)
- 『龍虎大領』(1974年)
- 『憤怒の左足』(1974年)
- 『背信者』(1974年)
- 『帰ってきた一本脚の男』(1974年)
- 『続・帰ってきた一本脚の男』(1974年)
- 『武装解除』(1975年)
- 『黒夜』(1975年)
- 『死を覚悟した決断』(1975年)
- 『ビョンテの感激時代』(1975年)
- 『秘録ブルース・リー物語(アメリカ訪問客)』(1976年)
- 『続・秘密客』(1976年)
- 『ニューヨーク44番街』(1976年)
- 『草墳』(1977年)
- 『警察官』(1978年): 第17回大鐘賞最優秀作品賞
- 『お兄ちゃんがいる』(1978年)
- 『生死の告白』(1978年)
- 『地獄の49日』(1979年)
- 『先輩』(1979年)
- 『河廻の村』(1979年)
- 『避幕』(1980年): 第17回百想芸術大賞監督賞
- 『最後の証人』(1980年): 英語題:The Last Witness
- 『鬼火山荘』(1980年)
- 『傘の中の三人の女』(1980年)
- 『双雄』(1980年)
- 『解決士』(1981年)
- 『欲望の沼』(1982年)
- 『おかしな関係』(1983年)
- 『糸をつむぐ女』(1983年): 第22回大鐘賞一般部門作品賞・監督賞
- 『昼と夜』(1984年)
- 『長男』(1984年)
- 『桑の葉』(1985年): 第6回韓国映画評論家賞作品賞、第22回百想芸術大賞監督賞
- 『トライ』(1985年)
- 『内侍』(1986年)
- 『トライ 2』(1986年)
- 『高速道路』(1987年)
- 『業』(1988年)
- 『新・桑の葉』(1988年)
- 『沈黙の暗殺者』(1989年)
- 『青松へ行く道』(1990年): 第10回韓国映画評論家賞作品賞、第26回百想芸術大賞監督賞
- 『黒い雪』(1990年)
- 『桑の葉3』(1990年)
- 『恋愛はプロ,結婚はアマチュア』(1994年)
- 『偉大なハンターGJ』(1995年)
- 『愛』(1999年)
- 『アリラン』(2003年)
脚注
[編集]- ^ 이두용 (イ・ドゥヨン) chosun.com 조선 DB (朝鮮 DB)(韓国語) 2011年8月28日閲覧。
- ^ a b 이두용 (イ・ドゥヨン) KMDb 2011年8月21日閲覧。
- ^ 오보람 (2024年1月19日). “'피막' '물레야 물레야' 연출한 거장 이두용 감독 별세(종합)” (朝鮮語). 연합뉴스. 2024年1月19日閲覧。