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イーゴリ・エシポフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イーゴリ・エシポフスキー
Игорь Эдуардович Есиповский
ドミートリー・メドヴェージェフ大統領(左)と会談するイーゴリ・エシポフスキー(2009年2月20日撮影)
生年月日 (1960-03-28) 1960年3月28日(64歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ウクライナ共和国ドニエプロペトロフスク州ドニエプロジェルジンスク
没年月日 (2009-05-10) 2009年5月10日(49歳没)
死没地 ロシアの旗 ロシア
イルクーツク州
出身校 モスクワ航空大学
所属政党 統一ロシア

在任期間 2008年4月15日 - 2009年5月10日

在任期間 2007年12月2日 - 2009年5月10日
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イーゴリ・エドワルドヴィチ・エシポフスキーロシア語: Игорь Эдуардович Есиповский、ラテン文字表記の例:Igor Eduardovich Esipovskii1960年3月28日 - 2009年5月10日)は、ロシア政治家ロシア連邦議会下院国家会議代議員を経て、2008年4月15日ロシア鉄道副社長に転出したアレクサンドル・チシャーニンの後を次いでイルクーツク州知事になる[1]。在職中の2009年5月10日ヘリコプターで州内を視察中、事故死した。

1977年から航空機工場で働き始める。1979年から2年間、兵役に就く。1981年航空機産業に復帰し、オルジョニキーゼ名称(記念)モスクワ航空大学に入学する。大学卒業後、モスクワのフルンゼ地区コムソモール第二書記、地方級人民代議員となった。1988年コムソモールの組織を土台として、部門間科学技術プログラムセンター(後のメナテップ)に参加し、調査製造協会(エコノヴァチヤ)総支配人を歴任する。1991年ロシア社会開発基金「再生」会長に就任する。1992年から2000年までロシア航空基金総裁、アヴィアインヴェエスト社会長などを歴任する。2001年ロスオボロンエクスポルト社の製造部、技術部長。2005年12月22日から2006年8月2日までアフトヴァズ社代表取締役会議長。

2007年12月2日統一ロシアからロシア連邦議会下院国家会議議員に当選する。下院では産業委員会副委員長を務めた他、予算委員会、国防・安全保障委員会に所属した。 2008年4月、アレクサンドル・チシャーニン・イルクーツク州知事の辞任後、同州知事代行を経て、11月22日、イルクーツク州議会によって知事に承認される。

2009年5月9日、視察のために搭乗したヘリコプターが行方不明になり、翌10日、ヘリコプターは墜落し、中からエシポフスキーを含め乗員4人が遺体で発見された[2]

私生活では夫人との間に一男一女がいた。

脚注

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外部リンク

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先代
アレクサンドル・チシャーニン
イルクーツク州知事
2008年2009年
次代
セルゲイ・ソコル(代行)