ウィリアムズ準男爵
ウィリアムズ準男爵(Williams baronets)は、イギリスの準男爵位[注釈 1]。ウィリアムズ姓の者が叙位された準男爵位は20あり、8つがイングランド準男爵、3つがグレートブリテン準男爵、9つが連合王国準男爵位である。
ベイノールのウィリアムズ準男爵 (1622年)
[編集]カーナーヴォン州におけるベイノールのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Vaynol in the County of Carnarvon)は、ウィリアム・ウィリアムズが1622年6月15日にイングランド準男爵として叙位されたのに始まる。6代準男爵はカーナーヴォン選挙区選出の庶民院議員だったが、1696年の彼に死去とともに廃絶した[1]
- 初代準男爵サー・ウィリアム・ウィリアムズ (-1630頃)
- 2代準男爵サー・トマス・ウィリアムズ (-1650頃)
- 3代準男爵サー・ウィリアム・ウィリアムズ (-1659頃)
- 4代準男爵サー・グリフィス・ウィリアムズ (-1663頃)
- 5代準男爵サー・トマス・ウィリアムズ (-1673頃)
- 6代準男爵サー・ウィリアム・ウィリアムズ (1668頃–1696)
マーンハルのウィリアムズ準男爵 (1642年)
[編集]ドーセット州におけるマーンハルのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Marnhull in the County of Dorset)は、エドムンド・ウィリアムズが1642年4月19日にイングランド準男爵位として叙位されたのに始まる[2]。1680年の2代準男爵の死去により廃絶。
ミンスターのウィリアムズ準男爵 (1642年)
[編集]ケント州におけるミンスターのウィリアムズ準男爵(William Baronetcy, of Minster in the County of Kent)は、ジョン・ウィリアムズが1642年4月22日にイングランド準男爵位として叙位されたのに始まるが、1669年の彼の死で廃絶。
- 初代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (1609頃–1669)[3]
ランジビーのウィリアムズ準男爵 (1642年)
[編集]モンマス州におけるランジビーのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Llangibby in the County of Monmouth)は、トレヴァー・ウィリアムズが1642年5月14日にイングランド準男爵位として叙位されたのに始まる[4]。彼はモンマス選挙区選出の庶民院議員を務めた。2代準男爵も3つの選挙区から選出されて庶民院議員を務めた。1753年の5代準男爵の死去により廃絶。
- 初代準男爵サー・トレヴァー・ウィリアムズ (1622頃–1692)
- 2代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (1651頃–1704)
- 3代準男爵サー・ホプトン・ウィリアムズ (1663頃–1723)
- 4代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (-1739)
- 5代準男爵サー・レオナルド・ウィリアムズ (-1753)
ガーネヴェットのウィリアムズ準男爵 (1644年)
[編集]ブレコン州におけるガーネヴェットのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Guernevet in the County of Brecon)は、ヘンリー・ウィリアムズが1644年5月4日にイングランド準男爵位として叙位されたのに始まる。彼はブレコンシャー選挙区選出の庶民院議員だった。2代準男爵はブレコン選挙区選出の庶民院議員だった。1695年頃の3代準男爵の死去で廃絶した。
- 初代準男爵サー・ヘンリー・ウィリアムズ Sir Henry Williams, 1st Baronet (1607頃–1652頃)
- 2代準男爵サー・ヘンリー・ウィリアムズ (1635頃–1666)
- 3代準男爵サー・ウォルター・ウィリアムズ (1636頃-1695頃)
ペンリンのウィリアムズ=バークリー準男爵 (1661年)
[編集]コーンウォール州におけるペンリンのウィリアムズ=バークリー準男爵(Williams-Bulkeley Baronetcy, of Penryn in the County of Cornwall)は、グリフィス・ウィリアムズが1661年6月17日にイングランド準男爵位として叙位されたのに始まる。詳細はウィリアムズ=バークリー準男爵を参照。
エルザムのウィリアムズ準男爵 (1674年)
[編集]ケント州におけるエルザムのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Eltham in the County of Kent)は、チャールズ2世とジェームズ2世の侍医だったトマス・ウィリアムズが1674年11月12日にイングランド準男爵として叙位されたのに始まる[5][6]。彼は後にウェオブリー選挙区選出の庶民院議員にもなった。2代準男爵はケントのハイ・シェリフやハートフォードシャー選挙区選出の庶民院議員を務めた[7]。彼の甥が準男爵位を継承したが、エルハムの土地は娘と娘婿のトマス・シモンズに相続された。4代準男爵と5代準男爵は3代準男爵の子だった。1804年の5代準男爵の死去で廃絶。
- 初代準男爵サー・トマス・ウィリアムズ (1621頃–1712)
- 2代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (1653–1723)
- 3代準男爵サー・デイヴィッド・ウィリアムズ (1659–1740)
- 4代準男爵サー・ヘンリー・ウィリアムズ (-1741)
- 5代準男爵サー・エドワード・ウィリアムズ (-1804)
グレイズ・インのウィリアムズ準男爵 (1688年)
[編集]ロンドン州におけるグレイズ・インのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Gray's Inn in the City of London)は、ウィリアム・ウィリアムズが1688年7月6日にイングランド準男爵として叙位されたのにはじまる[8]。ウィリアムズ=ウィン準男爵を参照。
エドウィンフォードのウィリアムズ準男爵 (1707年)
[編集]カーマーゼン州におけるエドウィンフォードのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Edwinsford in the County of Carmarthen)は、ニコラス・ウィリアムズが1707年7月30日にグレートブリテン準男爵として叙位されたのに始まる。彼は後にカーマーゼンシャー選挙区選出の庶民院議員となる。1745年の彼の死去とともに廃絶した。
- 初代準男爵サー・ニコラス・ウィリアムズ (1681–1745)
クラプトンのウィリアムズ準男爵 (1747年)
[編集]ノーサンプトン州におけるクラプトンのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Clapton in the County of Northampton)は、1747年4月4日にグレートブリテン準男爵として叙位されたのに始まる。2代準男爵はニュー・ショアハム選挙区選出の庶民院議員だった。1784年の3代準男爵の死去により廃絶。
- 初代準男爵サー・ハッチンズ・ウィリアムズ (1700頃–1758)
- 2代準男爵サー・ウィリアム・ピーアス・ウィリアムズ (1730頃–1761)
- 3代準男爵サー・ボース・ウィリアムズ (1735頃–1784)
ボドエルイザンのウィリアムズ準男爵 (1798年)
[編集]フリント州におけるボドエルイザンのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Bodelwyddan in the County of Flint)は、ジョン・ウィリアムズが1798年7月24日にグレートブリテン準男爵として叙位されたのに始まる。彼はフリントシャーのハイ・シェリフを務めていた[9]。また上記のグレイズ・インの初代準男爵ウィリアム・ウィリアムズの次男の曽孫にあたる。2018年に9代準男爵が死去したことにより廃絶した[10]。
- 初代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (1761–1830)
- 2代準男爵サー・ジョン・ヘイ=ウィリアムズ (1794–1859)
- 3代準男爵サー・ヒュー・ウィリアムズ (1802–1876)
- 4代準男爵サー・ウィリアム・グレンヴィル・ウィリアムズ (1844–1904)
- 5代準男爵サー・ウィリアム・ウィロウビー・ウィリアムズ (1888–1932)
- 6代準男爵サー・ヒュー・グレンヴィル・ウィリアムズ (1889–1961)
- 7代準男爵サー・レジナルド・ローレンス・ウィリアム・ウィリアムズ (1900–1971)
- 8代準男爵サー・フランシス・ジョン・ワトキン・ウィリアムズ (1905–1995)
- 9代準男爵サー・ローレンス・ヒュー・ウィリアムズ (1929–2018)[11]
カーズのウィリアムズ準男爵 (1856年)
[編集]カーズのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Kars)は、軍人でキャルネ選挙区選出の庶民院議員であるウィリアム・ウィリアムズが1856年7月18日に連合王準男爵として叙位されたのに始まるが、1883年の彼の死去で廃絶した。
- 初代準男爵サー・ウィリアム・フェンウィック・ウィリアムズ (1800–1883)
トレギュロウのウィリアムズ準男爵 (1866年)
[編集]コーンウォール州におけるトレギュロウのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Tregullow in the County of Cornwall)はコーンウォールの採鉱業で有名な富豪カーヘイズ、バーンコース、スコリアーのウィリアムズ家のヤンガーサンであるウィリアム・ウィリアムズが1866年8月4日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる。彼はコーンウォールのハイ・シェリフだった[13]。2代準男爵はトルーロー選挙区選出の庶民院議員だった[14]。2019年現在も現存。
- 初代準男爵サー・ウィリアム・ウィリアムズ (1791–1870) [15]
- 2代準男爵サー・フレデリック・マーティン・ウィリアムズ (1830–1878)
- 3代準男爵サー・ウィリアム・ロバート・ウィリアムズ (1860–1903) [16]
- 4代準男爵サー・ウィリアム・フレデリック・ウィリアムズ (1886–1905)
- 5代準男爵サー・フレデリック・ウィリアム・ウィリアムズ (1888–1913) [17]
- 6代準男爵サー・バートン・ロバート・ウィリアムズ (1889–1917) [18]
- 7代準男爵サー・フレデリック・ロー・ウィリアムズ (1862–1921) [18]
- 8代準男爵サー・ウィリアム・ロー・ウィリアムズ (1907–1960) [19]
- 9代準男爵サー・ロバート・アーネスト・ウィリアムズ (1924–1976)
- 10代準男爵サー・ドナルド・マーク・ウィリアムズ (1954-)
- 推定相続人は現当主の兄弟バートン・マシュー・ウィリアムズ (1956-)
シティ・オブ・ロンドンのウィリアムズ準男爵 (1894年)
[編集]シティ・オブ・ロンドンのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of the City of London)は、ジョン・ウィリアムズが1894年10月30日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる。1926年の彼の死により廃絶した。
- 初代準男爵サー・ジョン・ウィリアムズ (1840–1926)
キャステル・ダードラス=ボースウェンのウィリアムズ準男爵 (1909年)
[編集]メリオネス州におけるキャステル・ダードラス=ボースウェンのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Castell Deudrath, and Borthwen in the County of Merioneth)は、オズモンド・ウィリアムズが1909年7月28日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[20]。彼はメリオネスシャー選挙区選出の自由党の庶民院議員でメリオネス統監も務めた。2012年の2代準男爵の死去により廃絶した[21]。
- 初代準男爵サー・(アーサー)・オズモンド・ウィリアムズ (1849–1927)
- 2代準男爵サー・マイケル・オズモンド・ウィリアムズ (1914–2012)
ブライズヘッドのウィリアムズ準男爵 (1915年)
[編集]ドーセット州におけるブライズヘッドのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Bridehead in the County of Dorset)は、ウェスト・ドーセット選挙区選出の保守党庶民院議員ロバート・ウィリアムズが1915年2月9日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[22]。2019年現在も現存。
- 初代準男爵サー・ロバート・ウィリアムズ (1848–1943)
- 2代準男爵サー・フィリップ・フランシス・カニンガム・ウィリアムズ (1884–1958)
- 3代準男爵サー・デイヴィッド・フィリップ・ウィリアムズ (1909–1970)
- 4代準男爵サー・(ロバート)・フィリップ・ナサニエル・ウィリアムズ (1950-)
- 法定推定相続人は現当主の息子デイヴィッド・ロバート・マーク・ウィリアムズ David Robert Mark Williams (1980-).
パークのウィリアムズ準男爵 (1928年)
[編集]アバディーン州におけるパークのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Park in the County of Aberdeen)は、ロバート・ウィリアムズが1928年6月29日に連合王国準男爵位として叙位されたのに始まる。1938年の彼の死去により廃絶。
- 初代準男爵サー・ロバート・ウィリアムズ (1860–1938)
グリンドゥルのウィリアムズ準男爵 (1935年)
[編集]カーマーゼン州におけるグリンドゥルのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Glyndwr in the County of Carmarthen)は、エヴァン・ウィリアムズが1935年7月10日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる。1959年の彼の死去で廃絶。
- 初代準男爵サー・エヴァン・ウィリアムズ (1871–1959)[23]
キルゲレイントのウィリアムズ準男爵 (1953年)
[編集]カーナーヴォン州におけるキルゲレイントのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Cilgeraint in the County of Carnarvon)は、保守党の政治家ハーバート・ウィリアムズが1953年7月3日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる。2019年現在も現存。
- 初代準男爵サー・ハーバート・ジェレイント・ウィリアムズ (1884–1954)
- 2代準男爵サー・ロビン・フィリップス・ウィリアムズ (1928–2013)
- 3代準男爵サー・アンソニー・ジェレイント・ウィリアムズ (1958-)
ラネリーのウィリアムズ準男爵 (1955年)
[編集]カーマーゼン州におけるラネリーのウィリアムズ準男爵(Williams Baronetcy, of Llanelly in the County of Carmarthen)は、カーマーゼンシャー統監だったジョージ・ウィリアムズが1955年に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる。1958年の彼の死去により廃絶。
- 初代準男爵サー・ジョージ・クラーク・ウィリアムズ (1878–1958)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 準男爵位は爵位と異なり、準男爵という肩書だけ与えられる(「○○準男爵」といった形では与えられない)。他の準男爵位と区別する必要がある場合にのみ姓名を付けたり、由来する地名を付けたりして区別する。
出典
[編集]- ^ George Edward Cokayne Complete Baronetage Volume 1 1900
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Edmund Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ a b c GeorgEdward Cokayne, The Complete Baronetage, volume II (Exeter, 1902) page 168
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Trevor Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Halsted, Edward (1799). The History and Topographical Survey of the County of Kent. 8. Canterbury: W. Bristow. pp. 95-110
- ^ "Williams, Thomas (WLMS669T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Hayton, D. W. (2002). "Williams, Sir John (1653-1723)". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust.
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir John Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Lawrence Hugh Williams, 9th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ SIR LAWRENCE HUGH WILLIAMS Obituary
- ^ Burke's Landed Gentry, 1937, p.2442
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Williams, 1st Bt” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Frederick Martin Williams, 2nd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ A Genealogical and Heraldic Dictionary of the Landed Gentry of Great Britain 1863– Williams of Tregullow article on p.1668, provided by Google Books.
- ^ The Times, Monday, 18 May 1903; pg. 9; Issue 37083; col F: Obituary of Sir William Robert Williams, 3rd Baronet
- ^ The Times, Friday, 3 October 1913; pg. 6; Issue 40333; col B: Death Of A Baronet. An Overdose Of Ether In A Paris Hotel (Sir Frederick William Williams, 5th Baronet).
- ^ a b The Times, Friday, 23 December 1921; pg. 11; Issue 42911; col E: Obituaries-Sir F. L. Williams. He succeeded his brother, BR Williams, who was killed in action.
- ^ The Times, Saturday, 2 July 1960; pg. 10; Issue 54813; col E: Obituary: Sir William Law Williams
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Arthur Osmund Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Michael Osmond Williams, 2nd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Robert Williams, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年12月12日閲覧。
- ^ Welsh Biography Online. Accessed 13 February 2013