ウィリアム・ウォード (第3代ダドリー=ウォード子爵)
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第3代ダドリー=ウォード子爵ウィリアム・ウォード(英語: William Ward, 3rd Viscount Dudley and Ward、1750年1月21日 – 1823年4月25日)は、イギリスの貴族、政治家。
生涯
[編集]初代ダドリー=ウォード子爵ジョン・ウォードとメアリー・カーヴァー(Mary Carver、1782年5月31日没、ジョン・カーヴァーの娘)の息子として、1750年1月21日にヒムリーで生まれた[1]。1765年から1768年までイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1770年3月14日にオックスフォード大学オリオル・カレッジに入学した[3]。
1780年イギリス総選挙でウスター選挙区から出馬して当選、議会でノース内閣を支持した[2]。ノース内閣が倒れた後はシェルバーン伯爵内閣のアメリカ独立戦争暫定講和条約に反対した[2]。議会で投票した記録はあったが演説した記録はなく[2]、1788年10月10日に異母兄ジョンが死去するとダドリー=ウォード子爵の爵位を継承した[1]。
1823年4月25日に死去、息子ジョン・ウィリアムが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1780年8月1日、ジュリア・ボスヴィル(Julia Bosville、1754年7月21日 – 1833年6月23日、ゴドフリー・ボスヴィルの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[4]。
- ジョン・ウィリアム(1781年 – 1833年) - 第4代ダドリー=ウォード子爵、後に初代ダドリー伯爵に叙爵
出典
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 488.
- ^ a b c d Drummond, Mary M. (1964). "WARD, Hon. William (1750-1823).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月19日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1499.
- ^ "Dudley and Ward, Viscount (GB, 1763 - 1833)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年10月19日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョン・ウォルシュ トマス・ベーツ・ラウス |
庶民院議員(ウスター選挙区選出) 1780年 – 1788年 同職:トマス・ベーツ・ラウス 1780年 – 1784年 サミュエル・スミス 1784年 – 1788年 |
次代 サミュエル・スミス エドマンド・ウィグリー |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョン・ウォード |
ダドリー=ウォード子爵 1788年 – 1823年 |
次代 ジョン・ウィリアム・ウォード |