ウィリアム・エッジカム (第4代マウント・エッジカム伯爵)
第4代マウント・エッジカム伯爵 ウィリアム・エッジカム William Edgcumbe, 4th Earl of Mount Edgcumbe | |
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生年月日 | 1833年11月5日 |
没年月日 | 1917年9月25日 (83歳没) |
所属政党 | 保守党 |
称号 |
ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス 枢密顧問官 副統監 |
配偶者 |
キャサリン キャロライン・セシリア |
子女 |
ヴィクトリア・フレデリカ・キャロライン アルバータ・ルイーズ・フローレンス イーディス・ヒラリア ピアーズ |
親族 |
第3代マウント・エッジカム伯爵アーネスト・エッジカム(父、庶民院議員) 第2代マウント・エッジカム伯爵リチャード・エッジカム(祖父、庶民院・貴族院議員) ヴァレトート子爵ウィリアム・エッジカム(伯父、庶民院議員) |
庶民院議員 | |
選挙区 | プリマス選挙区 |
在任期間 | 1859年 - 1861年 |
内閣 | 第2次ディズレーリ内閣 |
在任期間 | 1879年5月7日 - 1880年4月21日[2] |
女王 | ヴィクトリア女王 |
内閣 |
第1次ソールズベリー侯爵内閣 第2次ソールズベリー侯爵内閣 |
在任期間 |
1885年6月27日[3] - 1886年1月28日[4] 1886年8月16日[5] - 1892年8月11日[6] |
女王 | ヴィクトリア女王 |
第4代マウント・エッジカム伯爵ウィリアム・ヘンリー・エッジカム(英語: William Henry Edgcumbe, 4th Earl of Mount Edgcumbe, GCVO PC DL 1833年11月5日 - 1917年9月25日)は、イギリスの貴族、政治家、廷臣。1839年から1861年までは儀礼称号のヴァレトート子爵(Viscount Valletort)を名乗った。
略歴
[編集]第3代マウント・エッジカム伯爵アーネスト・エッジカム(当時はヴァレトート子爵を名乗る)とキャロライン・オーガスタ夫妻の息子として生まれる。1859年から1861年にかけてプリマス選挙区選出の庶民院議員を務めたが、父の死に伴い1861年からは貴族院議員となった[7]。1879年に枢密顧問官に任じられる[8]。第2次ディズレーリ内閣では宮内長官を[1]、第1次及び第2次ソールズベリー侯爵内閣で王室家政長官を務める。
以降ヴィクトリア女王の侍従武官(Aide-de-Camp、1887年 - 1897年)[7]、王太子の諮問委員(1901年 - 1917年)、コーンウォール公領王璽尚書(1907年 - 1917年)、コーンウォール統監(1877年 - 1917年)[9]などを歴任した。1901年には、即位したばかりの新国王エドワード7世によって特別外交使節団の団長に任命される。この使節団はベルギー、イタリア、ヴュルテンベルク、バイエルン、オランダの各政府に即位を通告する使命を帯びていた[10]。同年3月、ベルギーにて国王レオポルド2世からレオポルド勲章大綬章を与えられた[11]。
エッジカムはフリーメイソンでもあり、プロヴィンシャル・グランド・ロッジのマスターを務めていた[12]。
家族
[編集]1858年10月26日、最初の妻キャサリン・ハミルトン嬢(保守党の政治家初代アバコーン公爵ジェームズ・ハミルトンの四女)と結婚。4人の子供をもうける。
- ヴィクトリア・フレデリカ・キャロライン嬢(1859年 - 1920年)第6代ノーサンバーランド公爵アルジャーノン・パーシーの次男アルジャーノン・マルカム・アーサー・パーシーと結婚。
- アルバータ・ルイーズ・フローレンス嬢(1861年 - 1941年3月25日)保守党の政治家第4代准男爵サー・ヘンリー・ロープス(後の初代ロボロー男爵)と結婚。
- イーディス・ヒラリア嬢(1862年 - 1931年4月3日)第2代セント・レヴァン男爵ジョン・セント・オービンと結婚。
- ピアーズ(1865年 - 1944年)陸軍軍人、第5代マウント・エッジカム伯爵
1874年3月に妻キャサリンに先立たれた。その後1906年4月21日にいとこのキャロライン・セシリア(ジョージ・エッジカム閣下の娘、第3代レイヴンスワース伯爵アソル・リデルの未亡人)と再婚した。彼女は1909年2月に亡くなった。
脚注
[編集]- ^ a b "No. 24721". The London Gazette (英語). 13 May 1879. p. 3311.
- ^ "No. 24842". The London Gazette (英語). 7 May 1880. p. 2915.
- ^ "No. 25485". The London Gazette (英語). 30 June 1885. p. 3000.
- ^ "No. 25558". The London Gazette (英語). 12 February 1886. p. 682.
- ^ "No. 25617". The London Gazette (英語). 17 August 1886. p. 4007.
- ^ "No. 26320". The London Gazette (英語). 26 August 1892. p. 4889.
- ^ a b Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 318–319.
- ^ "No. 24724". The London Gazette (英語). 20 May 1879. p. 3459.
- ^ Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990, [要ページ番号]
- ^ "The King - the special Embassies". The Times (英語). No. 36410. London. 23 March 1901. p. 12.
- ^ "The King´s Accession". The Times (英語). No. 36408. London. 21 March 1901. p. 5.
- ^ Holmes, Emra (12 August 1880). “The Marriage Of Lady Victoria Edgcumbe”. The Cornishman (109): p. 3
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Mount Edgcumbe
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ジェイムズ・ホワイト サー・ロバート・コリアー |
プリマス選挙区選出庶民院議員 1859年 – 1861年 同職:Sir Robert Collier |
次代 ウォルター・モリソン サー・ロバート・コリアー |
公職 | ||
先代 第5代ハートフォード侯爵 |
王室宮内長官 1879年–1880年 |
次代 第4代ケンマレ伯爵 |
先代 初代シドニー伯爵 |
王室家政長官 1885年–1886年 |
次代 初代シドニー伯爵 |
先代 初代シドニー伯爵 |
王室家政長官 1886年–1892年 |
次代 初代ブリーダルベイン侯爵 |
名誉職 | ||
先代 第2代ヴィヴィアン男爵 |
コーンウォール統監 1877年–1917年 |
次代 ジョン・チャールズ・ウィリアムズ |
空位 最後の在位者 第2代マウント・エッジカム伯爵
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コーンウォール海軍中将 1897年–1917年 |
空位 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 アーネスト |
マウント・エッジカム伯爵 1861年 – 1917年 |
次代 ピアーズ |