ウィリアム・エドワード・エアトン
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ウィリアム・エドワード・エアトン(William Edward Ayrton、1847年9月14日 - 1908年11月8日)は、イギリスの物理学者である。お雇い外国人として明治6年(1873年)から11年まで工部省工学寮(1877年工部大学校に改称、東京大学工学部の前身)で教えた。日本で初めてアーク灯を点灯した。
最初に結婚した医師、マチルダ・チャップリン=エアトンとは一緒に来日し、マチルダは日本では助産師の学校を開き、自ら教えた。英国に帰国後再婚したハータ・エアトンも女性科学者として業績をあげた。
来歴
[編集]1847年、ロンドンに生まれた。ロンドンのユニバシティ・カレッジで学び、1868年インドのベンガルで通信建設の仕事についた。1873年、明治政府の招きで来日し、工部大学の教授となった。6年間日本に滞在した後ロンドンのフィンスベリー工科大学(Finsbury College of the City and Guilds of London Technical Institute)の応用物理学の教授になった。
1881年王立協会フェロー選出、1901年同協会からロイヤル・メダル受賞。1884年にCentral Technical Collegeの電気工学の教授になった。1885年にハータと結婚した。多くの論文を発表しているが、特にジョン・ペリーと共同で行った、電気計測機器の開発で知られている。
教え子
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- エアトンとその周辺一一工部大学校お雇い外国人教師についての視点高橋雄造、技術と文明 7巻l号(2)