ウィリアム・キング=ノエル (初代ラブレス伯爵)
初代ラブレス伯爵ウィリアム・キング=ノエル(英語: William King-Noel, 1st Earl of Lovelace FRS、出生名ウィリアム・キング(William King)、1805年2月21日 – 1893年12月29日)は、イギリスの貴族。最初期の女性プログラマーとされるエイダ・ラブレスの夫[1]。
生涯
[編集]第7代キング男爵ピーター・キングと妻ヘスター(Hester、旧姓フォーテスキュー(Fortescue)、1784年12月17日 – 1873年12月17日、初代フォーテスキュー伯爵ヒュー・フォーテスキューの娘[2])の息子として、1805年2月21日にグレート・ジョージ・ストリート(Great George Street)で生まれ、聖マーガレット教会で洗礼を受けた[3]。イートン・カレッジで教育を受けた後[3]、1823年4月21日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した[4]。
1833年6月4日に父が死去すると、キング男爵位を継承した[3]。
1838年6月30日、連合王国貴族であるラブレス伯爵とサリー州におけるオッカムのオッカム子爵に叙された[3]。爵位名に「ラブレス」を選んだ理由は妻がラブレス男爵家の末裔であるためだとされた[3]。
1840年7月17日から1893年12月29日に死去するまでサリー統監を務めた[5]。
1841年11月25日、王立協会フェローに選出された[6]。
1860年5月16日に妻の母が死去すると、ヴィクトリア女王の認可状を受けて妻の祖母の旧姓「ノエル」を姓に加えた[3]。これは妻の母がノエル家のレスターシャーにおける地所の継承者であるためだった[3]。
1883年時点でサリーに10,214エーカーの、レスターシャーに4,568エーカーの、サマセットに3,008エーカーの、ウォリックシャーに663エーカーの、デヴォンに28エーカーの領地(年収22,815ポンド相当)を所有した[3]。
1893年12月29日に死去[4]、長男バイロンに先立たれたため次男ラルフ・ゴードン・ノエルが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1835年7月8日、エイダ・バイロン(1815年12月10日 – 1852年11月27日、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンと第11代ウェントワース女男爵アン・バイロンの娘)と結婚、2男1女をもうけた[1]。
- バイロン(1836年5月12日 – 1862年9月1日) - 第12代ウェントワース男爵[3]
- アン・イザベラ・ノエル(1837年9月22日 – 1917年12月15日) - 第15代ウェントワース女男爵[7]
- ラルフ・ゴードン・ノエル(1839年7月2日 – 1906年8月28日) - 第2代ラブレス伯爵、第13代ウェントワース男爵[8]
1865年3月29日にジェーン・クロフォード・ジェンキンス(Jane Crawford Jenkins、1908年1月27日没、ジョン・ジェンキンスの娘、エドワード・ジェンキンスの未亡人)と再婚、1男をもうけた[9]。
- ライオネル・フォーテスキュー(1865年11月16日 – 1929年10月5日) - 第3代ラブレス伯爵[10]
出典
[編集]- ^ a b c Toole, Betty Alexandra (1 September 2017) [2004]. "Byron, (Augusta) Ada [married name (Augusta) Ada King, countess of Lovelace]". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/37253。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 277.
- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 167.
- ^ a b "King [post King-Noel], the Hon. William. (KN823W)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
- ^ "King; William (1805 - 1893); Earl of Lovelace and Viscount Ockham". Record (英語). The Royal Society. 2021年1月30日閲覧。
- ^ Archer, Rosemary (23 September 2004). "Blunt [née King], Anne Isabella Noel, suo jure Baroness Wentworth". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/31937。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Norgate, Gerald le Grys (1912). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (2nd supplement) (英語). Vol. 2. London: Smith, Elder & Co. pp. 621–622. . In
- ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P, eds. (1914). Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (76th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1264.
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VIII: Lindley to Moate. Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 228.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the 1st Earl of Lovelace
- ウィリアム・キング=ノエル - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ウィリアム・キング=ノエルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
名誉職 | ||
---|---|---|
先代 アーデン男爵 |
サリー統監 1840年 – 1893年 |
次代 フランシス・エジャートン |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | ラブレス伯爵 1838年 – 1893年 |
次代 ラルフ・キング=ミルバンク |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ピーター・キング |
キング男爵 1833年 – 1893年 |
次代 ラルフ・キング=ミルバンク |