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ウィリアム・セオドア・ド・バリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアム・セオドア・ド・バリー(Wm. Theodore de Bary、1919年8月9日 - 2017年7月14日)は、アメリカ合衆国の東洋思想学者。コロンビア大学の教授・理事を70年近くにわたって務めた。

概略

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ニューヨーク州ブロンクス区に生まれる。父ウィリアム・ド・バリーは1914年にドイツからアメリカに渡ってきた。両親は彼が幼いころに離婚し、母はシングルマザーとして彼を育てた。父との区別のためにWm.と名乗った。

1937年にコロンビア大学に入学し、中国語を専攻。卒業後は、ハーバード大学大学院をへて、アメリカ海軍日本語学校へ入校。太平洋戦線における情報部に配属された。

戦後は、コロンビア大学において1948年に修士号、53年に博士号を取得した。博士論文は「黄宗羲『明夷待訪録』について」だった。その後非アジア系学生の勉学のため、日本、中国、インドの古典原典を英訳し、儒教の根底にある民主主義性を明らかにした。また新儒学の研究でも新たな分野を開拓した。

その後すぐ教授になった。角田柳作に学び、ドナルド・キーンとは友人で、来日したこともあり、長女のブレット・ド・バリー柄谷行人の『日本近代文学の起源』の英訳を行った。1974年アメリカ芸術科学アカデミー会員に選ばれる。

日本語訳著書

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