ウィリアム・ハギンズ
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ウィリアム・ハギンズ William Huggins | |
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ウィリアム・ハギンズ(1910) | |
生誕 |
1824年2月7日 イギリス,ロンドン, Stoke Newington |
死没 |
1910年5月12日 (86歳没) イギリス,ロンドン, Tulse Hill |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 天文学 |
出身校 | 大学進学せず[1] |
主な業績 | 星雲と銀河のスペクトル研究 |
主な受賞歴 |
ロイヤル・メダル (1866) 王立天文学会ゴールドメダル (1867. 1885) コプリ・メダル (1898) ブルース・メダル (1904) |
プロジェクト:人物伝 |
サー・ウィリアム・ハギンズ[1](Sir William Huggins、1824年2月7日 - 1910年5月12日)は、イギリスの天文学者。分光観測の分野で業績を遺した。妻のマーガレット・リンジー・ハギンズも天文学者として知られている[2]。
生涯
[編集]1856年にロンドン郊外のタルス・ヒル (Tulse Hill) に私設天文台を設け、観測機材を私費購入と王立天文学会からの貸与で揃えて、天体観測を始めた[1]。天体からのスペクトル線、吸収スペクトルを観測した。銀河が連続スペクトルをもつのに対して、星雲がガスの輝線スペクトルを示すことを発見し[1]、星雲と銀河とを区別する方法を見出した[2]。
1865年に王立協会フェローに選出され、1870年から1871年、1895年から1897年まで副会長、1900年から1905年の間会長を務めた[3]。会長退任後の1906年から1907年にも三度目の副会長を務めている[3]。
なお、彼の功績を称えて、小惑星(2635)ハギンズが彼の名を取り命名されている[4]。
受賞歴
[編集]- 1866年 - ロイヤル・メダル[3]
- 1867年と1885年 - 王立天文学会ゴールドメダル
- 1870年 - ラランド賞
- 1880年 - ランフォード・メダル[3]
- 1885年 - ベーカリアン・メダル[3]
- 1898年 - コプリ・メダル[3]
- 1901年 - ヘンリー・ドレイパー・メダル
- 1904年 - ブルース・メダル
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 原恵 著、中山茂 編 編『天文学人名辞典』(初版第一刷)恒星社〈現代天文学講座〉、1983年3月25日、120頁。 NCID BN00165458。
- ^ a b Becker, Barbara J., “Ch 4-1 - Margaret Huggins: The Myth of the 'able assistant'”, Eclecticism, Opportunism, and the Evolution of a New Research Agenda: William and Margaret Huggins and the Origins of Astrophysics
- ^ a b c d e f "Huggins; Sir; William (1824 - 1910)". Record (英語). The Royal Society. 2020年8月2日閲覧。
- ^ “(2635) Huggins = 1935 CB = 1942 FM = 1952 FZ = 1952 HP = 1953 PW = 1953 RS = 1957 WS = 1970 RQ = 1975 AB1 = 1982 DS”. MPC. 2021年8月13日閲覧。