ジョン・ロッテスリー (第2代ロッテスリー男爵)
ジョン・ロッテスリー John Wrottesley | |
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生誕 |
1798年8月5日 ロッテスリー・ホール |
死没 |
1867年10月27日 ロッテスリー・ホール |
居住 | イギリス |
研究分野 | 天文学 |
主な業績 | 二重星のカタログの作成 |
主な受賞歴 | 王立天文学会ゴールドメダル(1839年) |
プロジェクト:人物伝 |
第2代ロッテスリー男爵ジョン・ロッテスリー(John Wrottesley, 2nd Baron Wrottesley、1798年8月5日 – 1867年10月27日)は、イギリスの天文学者である。二重星のカタログを作成した。王立天文学会の創立メンバーであり、1841年から1842年まで会長を務めた[1]。
生涯
[編集]初代ロッテスリー男爵ジョン・ロッテスリーと1人目の妻キャロライン(1772年10月2日 – 1818年3月7日、第4代タンカーヴィル伯爵チャールズ・ベネットの娘)の息子として、1798年8月5日にスタッフォードシャーのロッテスリー・ホールで生まれた[1]。1810年1月から1814年7月までウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[1]、1816年5月15日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1819年にB.A.の、1823年にM.A.の学位を修得した[2]。1819年11月19日にリンカーン法曹院に入学、1823年2月10日に法廷弁護士になり、財産譲渡や契約書類の起草に従事した[1]。
1820年に王立天文学会の創立メンバーになり、1831年から1841年まで秘書を、1841年から1843年まで会長を務めた[1]。1839年王立天文学会ゴールドメダルを受賞した[1]。
弁護士として働いている間にブラックヒースに引っ越し、1829年から1831年までの間にブラックヒースで天文台を建設して観測を始めた[3]。1836年に王立天文学会で観測結果を発表し、学会は1838年にそれを出版した[3]。これにより、ロッテスリーは1839年2月8日に王立天文学会ゴールドメダルを受賞した[3]。1841年に父が死去した後は邸宅のロッテスリー・ホールに観測所を建設し観測を行った[3]。
1841年4月29日に王立協会フェローに選出され、1854年から1858年まで会長を務めた[4]。
政治では有用知識普及協会に加入したり[3]、第1回選挙法改正の選挙区境界制定に関わったりしたほか、1841年3月16日に父が死去してロッテスリー男爵位を継承した後、ホイッグ党(のちに自由党)の一員として行動した[1]。1847年工場法(女性と未成年労働者の労働時間を1日10時間に制限する法律)に反対した貴族5名のうちの1名だった[1]。
1860年7月2日、オックスフォード大学よりD.C.L.の名誉学位を授与された[2]。
1867年10月27日にロッテスリー・ホールで死去、テッテンホールで埋葬された[1]。息子アーサーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1821年7月28日、ソフィア・エリザベス・ギファード(Sophia Elizabeth Giffard、1793年11月1日 – 1880年1月13日、トマス・ギファードの娘)と結婚[1]、5男2女をもうけた[5]。
- ジュリア(1822年10月22日 – 1835年3月26日[5])
- アーサー(1824年6月17日 – 1910年12月28日) - 第3代ロッテスリー男爵[1]
- チャールズ(1826年2月23日 – 1907年6月19日) - 生涯未婚[6]
- ジョージ(1827年6月15日 – 1909年3月4日) - 1854年1月7日、マーガレット・アン・バーゴイン(Margaret Anne Burgoyne、1883年5月3日没、初代準男爵サー・ジョン・フォックス・バーゴインの娘)と結婚。1889年2月21日、ニーナ・マーガレット・フィリップス(Nina Margaret Philips、1915年以降没、ジョン・ウィリアム・フィリップスの娘)と再婚[6]
- ヘンリー(1829年3月4日 – 1852年3月11日) - 第8次コサ戦争で戦死[6]
- キャロライン(1832年2月24日 – 1860年9月1日) - 1859年12月28日、エドワード・ウォレス・グッドレイク(Edward Wallace Goodlake)と結婚[6]
- キャメロン(1834年12月19日 – 1854年8月15日) - ボマルスンドの戦いで戦死[6]
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 870.
- ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 4. Oxford: Parker and Co. p. 1617. ウィキソースより。
- ^ a b c d e Carlyle, Edward Irving (1900). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 63. London: Smith, Elder & Co. pp. 167–168.
- ^ "Wrottesley; John (1798 - 1867); 2nd Baron Wrottesley". Record (英語). The Royal Society. 2023年12月8日閲覧。
- ^ a b Lodge, Edmund, ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 737–738.
- ^ a b c d e Butler, Alfred T., ed. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (73rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2125.
関連図書
[編集]- Carlyle, Edward Irving; McConnell, Anita (23 September 2004). "Wrottesley, John, second Baron Wrottesley". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/30089。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
外部リンク
[編集]- ジョン・ロッテスリー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- ジョン・ロッテスリーの著作 - インターネットアーカイブ内のOpen Library
- "ジョン・ロッテスリーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
学職 | ||
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王立協会会長 1854年 – 1858年 |
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イギリスの爵位 | ||
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ロッテスリー男爵 1841年 – 1867年 |
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