ウィリアム・フィッツロイ (第6代グラフトン公爵)
第6代グラフトン公爵ウィリアム・ヘンリー・フィッツロイ(英語: William Henry Fitzroy, 6th Duke of Grafton、1819年8月4日 – 1882年5月21日)は、イギリスの貴族、政治家。1847年から1863年まで庶民院議員を務めた[1]。1819年から1844年までイプスウィッチ子爵、1844年から1863年までユーストン伯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第5代グラフトン公爵ヘンリー・フィッツロイと妻メアリー・キャロライン(Mary Caroline、旧姓バークリー(Berkeley)、1795年6月18日 – 1873年9月10日、サー・ジョージ・クランフィールド・バークリーの娘)の息子として、1819年8月4日にベルグレイヴィアのグローヴナー・プレイスで生まれた[1]。ハーロー校で教育を受けた後[2]、1837年6月22日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した[3]。1841年に在ナポリイギリス公使館でアタッシェを務めた[1]。
1845年12月24日にウェスト・サフォーク民兵隊隊長に任命されたが[4]、1846年3月に辞任した[5]。1860年8月8日にノーサンプトンシャー・ライフル志願兵第1大隊の副隊長に任命され[6]、同年11月7日にサフォークの副統監に任命された[7]。
1847年イギリス総選挙でホイッグ党(のち自由党)候補としてセットフォード選挙区から出馬、無投票で当選した[8]。1852年、1857年、1859年の総選挙でも無投票で再選した[8]。1863年3月26日に父が死去すると、グラフトン公爵位を継承した[1]。
1882年5月21日、腸チフスによりグローヴナー・プレイス4号で死去した[1]。子女がおらず、爵位は弟オーガスタス・チャールズ・レノックスが継承した[1]。
家族
[編集]1858年2月10日、マリー・アン・ルイーズ・ベアリング(Marie Anne Louise Baring、1928年4月8日没、第3代アシュバートン男爵フランシス・ベアリングの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 68–69.
- ^ a b Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1193. ISBN 2-940085-02-1。
- ^ "Fitzroy, William Henry, Viscount Ipswich. (FTSY837WH)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "No. 20570". The London Gazette (英語). 10 February 1846. p. 491.
- ^ "No. 20586". The London Gazette (英語). 24 March 1846. p. 1083.
- ^ "No. 22412". The London Gazette (英語). 10 August 1860. p. 2971.
- ^ "No. 22449". The London Gazette (英語). 20 November 1860. p. 4304.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 305. ISBN 978-1-349-02349-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Earl of Euston
- ウィリアム・フィッツロイ - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ビンガム・ベアリング閣下 サー・ジェームズ・フラワー準男爵 |
庶民院議員(セットフォード選挙区選出) 1847年 – 1863年 同職:ビンガム・ベアリング閣下 1847年 – 1848年 フランシス・ベアリング閣下 1848年 – 1857年 アレグザンダー・ベアリング 1857年 – 1863年 |
次代 アレグザンダー・ベアリング フレデリック・フィッツロイ卿 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ヘンリー・フィッツロイ |
グラフトン公爵 1863年 – 1882年 |
次代 オーガスタス・フィッツロイ |