ウィリアム・ベリー (系譜学者)
ウィリアム・ベリー(英語: William Berry、1772年11月5日 – 1851年)は、イギリスの系譜学者。1828年から1840年にかけて出版された『紋章学百科事典』(Encyclopedia Heraldica, or Complete Dictionary of Heraldry)と、1830年代から1840年代にかけて著したカウンティ別の家系史が知られる[1]。
生涯
[編集]ウィリアム・ベリー(William Berry)と妻エリザベス(Elizabeth)の息子として、1772年11月5日に生まれた[2]。
1793年から1809年まで紋章院登記係の書記官(writing clerk)を務めた[1]。1810年に『紋章学入門』(Introduction to Heraldry)を著した後、ガーンジー島に引っ越し、1815年に『ガーンジー島史』(The History of the Island of Guernsey, compiled from the collections of Henry Budd、1815年、四折り判)を著した[1]。
その後はイングランドに戻り、ケニントンのドディントン・プレイス(Doddington Place)に住んだ[1]。1816年にGenealogia antiqua, or, Mythological and Classical Tables(1816年初版、1840年第2版)を著し、1820年代と1830年代に『紋章学百科事典』(Encyclopedia Heraldica, or Complete Dictionary of Heraldry、1828年 – 1840年、4巻、四折り判)と『イングランド、スコットランドおよびアイルランドの貴族系譜名鑑』(A Genealogical Peerage of England, Scotland, and Ireland、1832年 – ?、4巻)といった大作を著した[1]。『英国人名事典』は『紋章学百科事典』をジョセフ・エドマンドソンなどそれまでの系譜学者の著述を取り入れた、系譜学における貴重な著作と評し、『貴族系譜名鑑』を「慎重に書かれた家族史で、彫版印刷の紋章も美麗」(a carefully compiled family history, with very beautifully engraved coats of arms)と評したが、後者はさほど売れず、第4巻でラトランド公爵家までを記述したのち5巻が出版されることはなかった[1]。
1830年代よりカウンティ別の家系史を著して人気を博したが、その第1作である『カウンティの家系:ケント』(The County Genealogies, Kent、1830年)は『ジェントルマンズ・マガジン』で酷評され、ベリーが「紋章員の登録官」(registering clerk in the College of Arms、書記官(writing clerk)とは別の官職)と自称したことも批判された[1]。これによりベリーはジェントルマンズ・マガジンの出版社J・B・ニコルズ&サン(J. B. Nichols & Son)を名誉毀損で訴えた[1]。裁判は1830年11月1日に王座裁判所で行われ、ベリーの敗訴という結果になった[1]。
1851年7月2日、ブリクストンのスペンサー・プレイス(Spencer Place)にある次男の住処で死去した[2]。
著作
[編集]- 『紋章学入門』(Introduction to Heraldry、1810年[1])
- 『ガーンジー島史』(The History of the Island of Guernsey, compiled from the collections of Henry Budd、1815年、四折り判[1])
- Genealogia antiqua, or, Mythological and Classical Tables(1816年初版、1840年第2版) - 初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルに献呈[1]
- 『紋章学百科事典』(Encyclopedia Heraldica, or Complete Dictionary of Heraldry、1828年 – 1840年、4巻、四折り判[1])
- 『イングランド、スコットランドおよびアイルランドの貴族系譜名鑑』(A Genealogical Peerage of England, Scotland, and Ireland、1832年 – ?、4巻[1])
- カウンティ別の家系史
- 『カウンティの家系:ケント』(The County Genealogies, Kent、1830年[1])
- 『カウンティの家系:サセックス』(The County Genealogies, Sussex、1830年[1])
- 『カウンティの家系:ハンプシャー』(The County Genealogies, Hampshire、1833年[1])
- 『カウンティの家系:バークシャー、バッキンガムシャー、サリー』(The County Genealogies, Berkshire, Buckinghamshire, and Surrey、1837年[1])
- 『カウンティの家系:エセックス』(The County Genealogies, Essex、1839年[1])
- 『カウンティの家系:ハートフォードシャー』(The County Genealogies, Hertfordshire、1842年[1])
家族
[編集]1796年7月24日、ロンドンでエリザベス・ウィンザー(Elizabeth Windsor、1776年 – 1851年5月、アザー・ウィンザーの娘)と結婚、3男5女をもうけた[2]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Boase, George Clement (1885). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 4. London: Smith, Elder & Co. p. 401.
- ^ a b c Boase, George Clement; Lloyd, Myfanwy (8 October 2020) [2004]. "Berry, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/2267。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)