ウィリアム・レズリー (第3代ロシズ伯爵)
第3代ロシズ伯爵ウィリアム・レズリー(英語: William Leslie, 3rd Earl of Rothes、15世紀 – 1513年9月9日)は、スコットランド貴族。兄ジョージの代に多くの領地を失っており、それを取り戻すことに奔走したが、スコットランド王ジェームズ4世から領地回復を承諾された数週間後、フロドゥンの戦いでジェームズ4世とともに戦死した[1]。
生涯
[編集]マスター・オブ・ロシズのアンドルー・レズリー(Andrew Leslie, Master of Rothes、1440年代 – 1478年1月までに没、初代ロシズ伯爵ジョージ・レズリーの息子)と妻エリザベス(Elizabeth、1508年ごろ没、初代ケイスネス伯爵ウィリアム・シンクレアの娘)の三男として生まれた[1]。
兄にあたる第2代ロシズ伯爵ジョージ・レズリーの行動が目に余るため、スコットランド王ジェームズ4世は1506年3月2日に2代伯爵が「それほど高貴で有名な家系」(so noble and famous a house)を荒廃させないよう助言する権利をウィリアムに与えた(実質的には2代伯爵の後継者の継承権を取り上げてウィリアムに与えた[2])。ウィリアムは兄の代に差し押さえられたバリンブライの男爵領を1510年に買い戻すことに成功、1511年8月7日には国王の認可状でイースター・ファイシー(Easter Fithie)の領地を与えられた[1]。
1513年2月24日と3月31日に兄が死去すると、ロシズ伯爵位を継承した[2]。同年3月31日、スコットランド王国議会は1510年の男爵領買い戻し協定を批准、6月29日には2代伯爵に科された違法占拠賠償金が国王ジェームズ4世により免除され、7月14日にはジェームズ4世が買い戻し協定を再確認した[1]。しかし、数週間後の9月9日、ロシズ伯爵はジェームズ4世とともにフロドゥンの戦いで戦死した[1]。長男ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]ジャネット・バルフォア(Janet Balfour、1490年ごろまたはそれ以前 – 1520年ごろまたはそれ以降、サー・マイケル・バルフォアの娘)と結婚[3]、3男1女をもうけた[1]。
- ジョージ(1558年11月28日没) - 第4代ロシズ伯爵
- ジョン(1585年9月6日没) - 1542年7月10日までにユーフェミア・モンクリーフ(Euphemia Moncrieff、サー・ジョン・モンクリーフの次女)と結婚、2女をもうけた[1]
- ジェームズ(1576年10月13日没[1])
- グリセル(Grisel) - 1529年6月8日、ヘンリー・ウォードロー(Henry Wardlaw、ジョン・ウォードローの息子)と結婚。ウォルター・ヘリオット(Walter Heriot)の未亡人だったとされる[1]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 276–281, 284.
- ^ a b Penman, Michael A. (7 January 2010) [2004]. "Leslie, George, first earl of Rothes". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/54254。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Thomas, Andrea (23 September 2004). "Leslie, George, fourth earl of Rothes". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16488。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
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