ウィーン条約 (1657年)
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神聖ローマ皇帝レオポルト1世 | |
種類 | 同盟条約 |
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署名 | 1657年5月27日 |
署名場所 | ウィーン |
署名国 | 神聖ローマ皇帝レオポルト1世 ヤン2世カジミェシュ |
締約国 | ハプスブルク家 ポーランド・リトアニア共和国 |
ウィーン条約(ウィーンじょうやく、英語: Treaty of Vienna)は北方戦争中の1657年5月27日に締結された、ハプスブルク家とポーランド・リトアニア共和国の同盟条約[1]。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世は1656年のウィーン条約で反スウェーデン側で参戦することに同意し、ポーランド王ヤン2世カジミェシュに援軍4千を提供したが条約が実効を持たなかった[1]。フェルディナント3世は同年4月に死去し、後任のレオポルト1世は同盟の強化に同意した。この条約において、レオポルト1世はスウェーデン=ブランデンブルク同盟への対策としてヤン2世に援軍1万2千を提供した[1]。ポーランドの資金で賄われたこの援軍は6月にポーランド領内に入った[1]。