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ウェデヒ家の一員の肖像、おそらくヘルマン・ウェデヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ウェデヒ家の一員の肖像、おそらくヘルマン・ウェデヒ』
ドイツ語: Porträt eines Mitgliedes der Familie Wedigh, wahrscheinlich Hermann Wedigh
英語: Hermann von Wedigh III
作者ハンス・ホルバイン (子)
製作年1532年
種類オーク板上に油彩
寸法42.2 cm × 32.4 cm (16.6 in × 12.8 in)
所蔵メトロポリタン美術館ニューヨーク

ウェデヒ家の一員の肖像、おそらくヘルマン・ウェデヒ』(ウェデヒけのいちいんのしょようぞう、おそらくヘルマン・ウェデヒ、: Porträt eines Mitgliedes der Familie Wedigh, wahrscheinlich Hermann Wedigh: Hermann von Wedigh III)は、ドイツルネサンス期の画家ハンス・ホルバイン (子) がオーク板上に油彩で制作した肖像画である。モデルの人物は、ケルンのウェデヒ家の一員であったヘルマン・フォン・ウェデヒ3世だと考えられている[1][2]。作品は、1940年にエドワード・S・ハークネス (Edward S. Harkness) から遺贈されて以来[1]ニューヨークメトロポリタン美術館に所蔵されている[1][2]

作品[編集]

ヘルマン・ヒレブラント・デ・ウェデヒの肖像英語版』 (1533年)、絵画館 (ベルリン)
『ウェデヒ家の一員の肖像、おそらくヘルマン・ウェデヒ』の指輪の部分

1530年代に、ホルバインは、ロンドンスティールヤード英語版に拠点を置いていたハンザ同盟の富裕な商人の肖像を描くよう依頼された。画家は、スティールヤードの8人の商人の肖像を描くことになった[3]。これらの肖像の人物は、1532年に描かれたグダンスク (当時のドイツ語名はダンツィヒ) の『ゲオルク・ギーゼ』(ベルリン絵画館)、アントウェルペンのハンス英語版 、 ヘルマン・ウェディヒ (Hermann Wedigh) 、1533年に描かれたケルンのヒレブラント・ウェデヒ (Hillebrant Wedigh) 、ウェデヒ家の不明の人物、ドゥイスブルクのディルク・ ティビス (Dirk Tybis) 、ツィリアクス・カーレ (Cyriacus Kale) 、デリク・ボルン (Dirk Born) 、1536年に描かれたデリク・ベルク (Derick Berck) である[4]

本作のモデルは、ケルンのウェデヒ家の紋章 (3枚の柳の葉のある山形の紋章) が刻まれている指輪をしているため、上記の8人のうちの1人であるヘルマン・ウェデヒであると考えられている[1][2]。画面下部左側にある小さな祈祷書に挟まれている紙には、プブリウス・テレンティウス・アフェルが執筆した古代ローマ時代の喜劇『アンドロス島の女英語版』からの引用である「真実は憎悪を生む」の言葉が書かれている。この言葉は、祈祷書の内容に言及しているだけでなく、モデルの人物の個人的な信条であったのかもしれない[1][2]

彼の右目は左目より大きく、右の眉毛は高い位置にあるが、そのことはウェデヒ家の紋章のある指輪をしていることともに、絵画館 (ベルリン) 蔵の『ヘルマン・ヒレブラント・デ・ウェデヒの肖像英語版』と共通している。おそらく、鑑賞者に2人の男性の類似性を凝視させようとして、あるいは同じ家族的特徴を強調しようとさえして、ホルバインはそれぞれの人物の右目の大きさを強調している[5]

なお、2人の男性が着けている指輪にある紋章は、マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝) が1503年7月18日にハインリヒ・フォン・ウェデヒという名のラインラント人に与えたものである[6]。1480年以降、ウェデヒ家の何人かの人物がスティールヤードで商人として働いていた[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e ウェデヒ家の一員の肖像、おそらくヘルマン・ウェデヒ(1560年没)”. メトロポリタン美術館公式サイト (日本語). 2024年6月26日閲覧。
  2. ^ a b c d メトロポリタン美術館ガイド 2012年、250頁。
  3. ^ Fudge, J.F., Commerce and Print in the Early Reformation, Brill, 2007, p.110
  4. ^ Holman, T.S., "Holbein's Portraits of the Steelyard Merchants: An Investigation," Metropolitan Museum Journal, vol. 14, 1980, pp 139–158; The eight portraits are those that art historians agree were painted by Holbein, however the artist may also have painted other portraits of merchants, such as that of Johann Schwarzwald, which is often attributed to Holbein
  5. ^ Ainsworth et al. 2013, pp. 136–137.
  6. ^ Ainsworth et al. 2013, p. 301, n. 12.
  7. ^ Buck et al. 2003, p. 80.

参考文献[編集]

  • マーク・ポリゾッティ発行人兼編集責任者『メトロポリタン美術館ガイド』、メトロポリタン美術館、2012年刊行 ISBN 978-4-904206-20-1
  • Ainsworth, Maryan W.; Waterman, Joshua P.; Husband, Timothy; Thomas, Karen E.; Mahon, Dorothy (2013). German Paintings in the Metropolitan Museum of Art, 1350-1600. New York: Metropolitan Museum of Art. pp. 133-137, 301-302. ISBN 9781588394873. https://www.google.com.au/books/edition/_/MKkSBtJNBUwC?hl=en&gbpv=1&pg=PA133 
  • Buck, Stephanie; Sander, Jochen; Suchtelen, Ariane van; Buvelot, Quentin; Ploeg, Peter van der (2003). Hans Holbein the Younger, 1497/98-1543: Portraitist of the Renaissance. Catalogue for the exhibition, Hans Holbein 1497/98-1543, 16 August–16 November 2003. Essays, Stephanie Buck, Jochen Sander; catalogue, Ariane van Suchtelen, Quentin Buvelot, Peter van der Ploeg; with appendices by Bieke van der Mark and Epco Runia. The Hague: Royal Cabinet of Paintings Mauritshuis. pp. 80-83. ISBN 904008906X 

外部リンク[編集]