ウェンデル・ブライアント
Wendell Bryant | |||||||
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基本情報 | |||||||
ポジション | ディフェンシブタックル | ||||||
生年月日 | 1980年9月12日(44歳) | ||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ミネソタ州ミネアポリス | ||||||
身長: | 6' 5" =約195.6cm | ||||||
体重: | 303 lb =約137.4kg | ||||||
経歴 | |||||||
大学 | ウィスコンシン大学 | ||||||
NFLドラフト | 2002年 / 1巡目全体12位 | ||||||
初出場年 | 2002年 | ||||||
初出場チーム | アリゾナ・カージナルス | ||||||
所属歴 | |||||||
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NFL 通算成績 | |||||||
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Player stats at PFR |
ウェンデル・ブライアント(Wendell Bryant 1980年9月12日- )はミネソタ州ミネアポリス出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブタックル。2000年代のNFLドラフトでのバスト(期待はずれ)の1人[1]。
経歴
[編集]ミズーリ州セントルイスの高校を卒業後、ウィスコンシン大学に進学した。3,4年次には、ビッグ・テン・カンファレンスの最優秀ディフェンシブラインマンに選ばれた[2]。
2002年のNFLドラフト1巡目でアリゾナ・カージナルスに指名されて5年750万ドル(550万ドルのサインボーナスを含む)で契約を結び入団、2004年まで3シーズンプレーした。2002年シーズン終了後、マリファナの陽性反応が出たため、NFLのドラッグプログラムを受けた。2003年にもマリファナの陽性反応が出た。また、ウィスコンシン州で、酒気帯び運転で逮捕された。このため、2004年は、開幕から4試合の出場停止処分を受けた。2005年、当時ヘッドコーチだったデニス・グリーンを始め、チームは彼をサポートしようと忠告したが、ブライアントはこれを聞き入れず、パーティーで、エクスタシーを服用した。翌日、NFLは薬物検査を行い、通算3度目の陽性反応が出たため、2005年シーズンは出場停止処分を受け、カージナルスも彼を解雇した。その後彼が、NFLに復帰することはなかった。3シーズンでの出場は、先発9試合を含む29試合であり[3]わずか1.5サックでありNFL全体でも2000年代のドラフトでの期待外れであった選手の1人として名前があがる[4]。
UFLのラスベガス・ロコモティブスのドラフト指名を受け、2009年8月5日に契約を結んだ。同年11月19日、故障者リスト入りした。
2010年は、UFLのオマハ・ナイトホークスに所属した[5][6]。
脚注
[編集]- ^ Doug Farr (2010年4月20日). “Draft Busts of the 2000s: Where are they now?”. Yahoo! SPORTS. 2013年10月20日閲覧。
- ^ “Wendell Bryant | DT | Wisconsin | Big Ten Conference”. スポーツ・イラストレイテッド (2002年). 2013年10月20日閲覧。
- ^ Kent Somers (2009年5月13日). “Ex-Cardinals bust seeks NFL return”. azcentral.com. 2013年10月20日閲覧。
- ^ “The NFL's biggest draft busts since 2000”. スポーツ・イラストレイテッド (2012年4月18日). 2023年6月7日閲覧。
- ^ Gregg Rosenthal (2010年4月16日). “Omaha secures its first wave of UFL players”. NBCスポーツ. 2013年10月20日閲覧。
- ^ Gregg Rosenthal (2010年9月21日). “The first ever UFL sellout”. NBCスポーツ. 2013年10月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference
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