ウォルター・アストン (第4代フォーファーのアストン卿)
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第4代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストン(英語: Walter Aston, 4th Lord Aston of Forfar、1660年 – 1748年4月4日)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]第3代フォーファーのアストン卿ウォルター・アストンと1人目の妻エレノア・ブラウント(Eleanor Blount、1674年12月3日没、初代準男爵ウォルター・ブラウントの娘)の息子として、1660年に生まれた[1]。
1698年10月1日頃、メアリー・ハワード(Mary Howard、1723年5月23日没、トマス・ハワードの娘)と結婚[1]、5男6女をもうけた[2]。メアリーは末男ジェームズを出産しているときに死亡した[1]。
- メアリー(1703年10月27日 – 1704年12月10日)
- アン(1705年4月4日 – 7月24日)
- キャサリン・エリザベス(1708年3月7日 – 1739年10月25日) - 1727年6月13日以降、エドワード・ウェルド(Edward Weld)と結婚
- メアリー・アン(1709年5月 – 1712年4月2日)
- ウォルター(1711年2月16日 – 1717年6月19日)
- エドワード・リチャード(1713年1月17日 – ?) - 早世
- マーガレット(1714年3月28日 – 1747年8月) - 修道女
- トマス・ウィリアム・アンソニー(1739年没)
- エリアノーラ(Elianora、1717年5月22日 – 1728年2月1日)
- チャールズ・ジョセフ(1719年3月19日 – 1730年4月12日)
- ジェームズ(1723年 – 1751年) - 第5代フォーファーのアストン卿
1714年11月24日に父が死去すると、フォーファーのアストン卿の爵位を継承した[1]。
1748年4月4日にティクソルで死去、8日に埋葬された[1]。末男ジェームズが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 286–287.
- ^ "Aston of Forfar, Lord (S, 1627 - dormant 1751)". Cracroft's Peerage (英語). 15 July 2009. 2019年9月8日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ウォルター・アストン |
フォーファーのアストン卿 1714年 – 1748年 |
次代 ジェームズ・アストン |