ウォルター・ポンソンビー (第7代ベスバラ伯爵)
第7代ベスバラ伯爵ウォルター・ウィリアム・ブラバゾン・ポンソンビー(英: Walter William Brabazon Ponsonby, 7th Earl of Bessborough、1821年8月13日 – 1906年2月24日)は、イギリスの貴族、聖職者。1869年から1894年まで教区牧師を務めた[1][2]。
生涯
[編集]第4代ベスバラ伯爵ジョン・ウィリアム・ポンソンビーと妻マリアの息子として、1821年8月13日にサリー州ローハンプトン(現グレーター・ロンドンの一部)で生まれ、パットニーで洗礼を受けた[1]。ハーロー校で教育を受けた後、1840年7月10日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、同年にB.A.の学位を、1843年にM.A.の学位を修得した[1][2]。
ポンソンビーはイングランド国教会の聖職者になり、1845年5月18日にグロスター大聖堂の執事に任命され、12月21日に司祭に任命された[2]。1845年から1846年までグロスター州ハザロップの牧師補(curate)を、1846年から1869年までドーセット州カンフォード・マグナの副牧師(vicar)を、1869年から1875年までデヴォン州ベア・フェラーズの教区牧師(rector)を、1875年から1880年までサマセット州マーストン・ビゴットの教区牧師を、1880年から1894年までサフォーク州スタットンの教区牧師を務めた[2]。
1895年3月12日に兄フレデリック・ジョージ・ブラバゾンが死去すると、ベスバラ伯爵位を継承した[1]。政治では自由統一党に属した[1]。
1906年2月24日にピムリコのエクルズトン・スクエア38号(38 Eccleston Square)で死去、3月2日にキルケニー県ピルタウンで埋葬された[1]。長男エドワードが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1850年1月15日、ルイーザ・スーザン・コーンウォリス・エリオット(Louisa Susan Cornwallis Eliot、1825年12月17日 – 1911年1月15日、第3代セント・ジャーマンズ伯爵エドワード・エリオットの娘)と結婚[1]、5男3女をもうけた[3][4]。
- エドワード(1851年3月1日 – 1920年12月1日) - 第8代ベスバラ伯爵[1][5]
- マリア(1852年6月4日[3] – 1949年11月19日) - 生涯未婚[6]
- サイリル・ウォルター(1853年9月8日 – 1927年11月29日) - 1893年9月19日、エミリー・ハリエット・エア・アディントン(Emily Harriet Eyre Addington、1932年12月10日没、H・アディントンの娘)と結婚、子供あり[3][4]
- グランヴィル(1854年9月13日 – 1924年2月24日) - セントルシア警察長官。1879年6月10日、メイベル・ジャクソン(Mabel Jackson、1922年1月20日没、チャールズ・ジャクソン閣下の娘)と結婚[4]
- アーサー・コーンウォリス(1856年1月8日 – 1918年4月25日) - 1892年8月17日、キャスリーン・エヴリン・シレリー(Kathleen Evelyn Sillery、ヘンリー・シレリーの娘)と結婚[4]
- エセル・ジェマイマ(1857年4月8日 – 1940年6月26日埋葬) - 1883年2月28日、第3代ラグラン男爵ジョージ・サマセットと結婚、子供あり[7]
- ウォルター・ジェラルド(1859年7月31日 – 1934年4月28日) - 法廷弁護士[4]
- サラ・キャスリーン(Sara Kathleen、1861年8月5日[3] – 1936年6月10日) - 1883年6月26日、チャールズ・ランスロット・アンドルーズ・スキナー(Charles Lancelot Andrewes Skinner)と結婚、子供あり[6]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 172–174.
- ^ a b c d "Ponsonby, the Hon. Walter William Brabazon. (PNSY840WW)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 79.
- ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 281.
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 91. ISBN 978-0-7509-0154-3。
- ^ a b Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 363. ISBN 978-0-97119662-9。
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 726–727.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Walter Ponsonby
アイルランドの爵位 | ||
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